1.四つ目の男
 ある瞬間、ザッカリーは理解した。今、この世界の外側には「誰か」がいるのだと。そして、その「誰か」が操る人形に見えてその実、確固たる目的を持って行動しているモノがこの世界には存在しているのだ、と。
 そうして、自身には与えられた役割がある。創造主から与えられた役割とは違う、もっと別の、クレイジーでいて、クールな使命。思わず笑いがこみ上げてしまう。
 何とも自分にお似合いの役目が与えられてしまった。
 「誰か」がプレイしているゲームを円滑に進めさせるため、確固たる意思を持ったモノの任務を遂行させるため、ザッカリーは商人としての本分を存分に発揮できる、ということだ。
 愉快で仕方がない。今までも商人としてこの世界に存在し、各ゾーンのやり取りをまかない、それぞれを繋げるパイプとしての使命が与えられていたが、今となっては殆ど必要とされていない役職だ。
 昔々、記憶も朧な部分では、もっと自分と同等の商人がいたような気もするが、現時点でその使命を与えられた商人はザッカリーのみとなっている辺り、この世界は最早パイプ役を必要としていない、ということなのかもしれない。
 己のようなキャラをメタキャラと呼ぶのだという知識は前々から持っていた。そして、今現在、この世界においてメタキャラに成りうる存在は自分と、友人である猫のパウロくらいのものだろう、という自負もあった。何せ、ザッカリーは自身が特異であることを知りすぎていた。
 それも、この世界がゲームになるずっと前から。
 世界へ抱く疑念疑問、他とは違う価値観。特異な存在であることに気づかぬはずがない。そのことについて、ザッカリーは時折、パウロに語りさえしていた。
 聡明な猫である彼は、いつだってザッカリーの言葉をしかと聴き、同意を示してくれる。そんな時、ザッカリーは小さな友人を持てたことを心の底から感謝したものだ。
 この世界のモブ、普通の人間は、エルセンとだけ呼ばれ個々を区別する名前を持っていない。姿形も殆ど同じ。ゾーン間を移動することもなく、与えられた場所で生きているだけの存在。ザッカリーの話し相手になるはずもない。
 誰がこの世界を作りだしたかなど、追求する程の興味もわかないが、えらく雑な作りであることは否定できない。
「――そろそろ、キャラクターの経験値も溜まってきたんじゃないか?」
 自身に課せられた役割を一点の曇りもなく知ってしまっている彼は、必要とされる場所に立ち、必要な人物へ声をかける。もとより、対人に臆するような性格ではない。むしろ、久々に有意義な商談ができるかもしれない、と思えば声も弾む。
「何だって?」
 目の前にいる何モノかは、野球帽を被った「バッター」だ。その姿を見た瞬間に、彼の名前と大まかな役割を知ることができた。ついでに言うのならば、画面の向こう側、この世界の外側にいる「誰か」のことも知ることができた。容姿や本名、そんなものはどうでもいい。大切なのは、「誰か」がそこに存在していること。そして、そのことを認識できること、だけなのだから。
 これがメタキャラに与えられる能力というのならば、あり難いことこの上ないものだった。退屈な世界に降ってきた愉快で奇妙な演劇を、パンフレットと共に最前列の席で優雅に眺めているような心地良さがそこにはある。
「つまりさ、並みのプレイヤーは、そんなややっこしくてつまーんねぇお喋りをそんなに必要としちゃいないってこと」
 他人事のような面をしている「誰か」にザッカリーは言葉を向ける。
 ここにいるのはゲームのキャラクターだけではない。お前も、このゲームのキャラクターなのだと、この世界に干渉しているのだと、嫌という程突きつけてやらなければならない。
 それはザッカリーの役目であり、趣味でもある。
 だってそうだろう。この演目のオチは知らないけれども、そこに棒立ちしている役者がいるというのならば、入り込ませなければならない。そうに決まっている。
 一通りのお喋りを終え、プレイヤーはアイテム購入画面でも見ている頃合だ。
 ザッカリーはこっそりと、仮面越しにバッターの姿を見る。
 彼はプレイヤーに倣うようにしているのか、彼自身もアイテムに興味を向けているのか、視線を商品に向けたままで、ザッカリーの方を見ようともしない。
 黒い野球帽。身を包んでいる衣服も野球選手のもの。手に握られているバットはその姿に似合った娯楽を楽しむために使用されるわけではない。
 どれもこれも、この世界では見ないものばかりだ。
 メタキャラであるからこそザッカリーはそれらについての知識を持っているが、世界の大半を占めるエルセンは野球などという娯楽を楽しんだこともないだろう。
 何より、ザッカリーの興味を引いたのは、バッターという存在そのものだ。
 この世界において、その他大勢でないキャラクターは非常に認識がしやすい。
 使命を与えられているが故に名を持ち、姿を持ち、目立つ。
 各ゾーンを守護するガーディアンを始めとし、世界のパイプ役であるザッカリーや世界の調和と審判を司るパウロ、下賎の身では謁見すら許されない創造主とクイーン。そして奥底に潜むシュガー。
 隠しキャラであるパウロやシュガー達はともかくとして、他の者達については世界中のエルセン達も名前くらいは聞いたことがあるはずだ。それに対し、バッター。彼のことを知る者は誰一人としていない。
 自由気ままにthe room以外の全てを行き来していたザッカリーでさえ、彼の姿を見たのは今日が始めてだ。
 一体、今までどこに潜んでいたというのか。
 生まれたばかりだとでもいうのか。
 神聖な使命、浄化とはいったい何をもって終えたといえるのか。
 わからないことだらけだ。
 メタキャラとしてのザッカリーが知れることといえば、外と内があること、次に自分が赴くべき場所。それくらいだ。他のことは全て自分の頭で考えなければならない。
 素晴らしすぎるこの世界に祝福を述べなければならないだろう。思いつく限りの言葉を並べなければ。
 そんなことを考えていると、バッターが顔を上げる。
 どうやらプレイヤーの買い物が終わったらしい。
「まいどあり」
 減ったアイテム分だけ増えたクレジットを数える。
 有意義な時間だった。思考した、という意味でも、出会えた、という意味でも。
 迷いなく立ち去っていくバッターの背に、ザッカリーはゆるやかに笑む。
「はてさて、親愛なるプレイヤー殿には、どんなグラフィックが見えてるんだろうかねぇ」
 少なくとも、ザッカリーと同じものは見えていないだろう。もし、見えていたのだとすれば、到底、このゲームに感情移入などできなくなってしまうに違いない。
「エルセンもオレもパウロもガーディアン連中も、みんなみんな目は二つ。
 それが世界の常識ってもんだ」
 バッターが顔を上げたあの瞬間、ザッカリーは彼と目があった。
 極普通の顔にはめ込まれた、四つの目玉、と。

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