2.父親二人
第一のゾーンをあらかた周り、バッターは嘆息する。視界に映っているのは真っ赤な肉の泉だ。あふれ出るミンチによってできた川は、禍々しいという言葉だけでは片付けられない異様さをかもし出している。
彼を操っているプレイヤーはどの程度この状況を正確に見ることができているのだろうか。内側で物事を見ているバッターとしては、年齢制限必須のこの光景が画面上に現れていないことを願うばかりだ。これでも一応は創造主の父親を素として作り出された存在。ゲームという、子供がするであろうものに教育上宜しくないものを映し出したくはない。
「それにしても、これほどまでに歪んでしまっているとはな」
バッターは呟く。
この言葉はウインドウ上には表示されず、画面越しの彼、あるいは彼女には伝わることのないものだ。
プレイヤーが知る必要のない情報が、ここには山のように存在している。
グロテスクな光景、世界のありかた、バッターが目指す結末。
最後の一つは最終的にプレイヤーが目の当たりにしなければならない現実であり、おそらくは彼、彼女を苦しめることとなるだろう。願わくばたかだかゲームなのだと割り切ってもらえれば嬉しい。子供の心に深い傷を残すのはバッターの本意ではないのだ。
「煙にメタル、プラスチックに肉。
よくもまあ、これだけ仰々しいものをそろえられたものだ」
その昔、この世界はもっと普通だった。
世界を構築する重要なエレメントは風と土と水と草。人々はガーディアンの庇護の下、夢と希望を抱き、幸福に生きていた。不安にかられることもなく、一抹の陰りさえない。平和という言葉がお似合いの、物事が上手く循環している世界。各ゾーンでエルセン達は己の成すべきことを成し、あるべき姿で生き、幾人もの商人がそれらを綺麗に繋いでいた。
まだ幼い創造主が作り出したその世界を、バッターは知らないが知っている。
それが崩れ去り、更地に戻ってしまったその瞬間をも、彼は知っているのだ。
「創造主がいない世界が、これほど歪なものだとはな」
この場にいるのはバッター一人。画面向こうの存在は度外視する。
もしも、この空間に他の誰かがいたならば、すぐにでも詰め寄ってきたことだろう。創造主はいるのだと、クイーンと共にあるのだと。お前は何を言っているのか、気でも違えたのか、と。
確かに、バッターは気が狂っているといわれても仕方のない存在だ。そのくらいの自覚はある。現状、この世界においての異物とは、プレイヤーよりも先にバッターを指す言葉となるのだから。
バッターは知っている。おそらくは、クイーンも知っている。
ガーディアンやエルセン、ザッカリーやジャッジはきっと知らない。
この世界は、一度、壊れている。
それは悲しい出来事ではなかったはずなのだ。
何故ならば、破壊は創造の始まり。幼い創造主が慰めのために作り出した世界が不要になったことを示す福音。
苦い薬から逃れ、閉じ込められるような生活を終え、創造主は、ヒューゴは、健康な子供へと姿を変えた。そして、時間が経ち、幼き子は大人へ心と体を変えていく。
小さな箱庭に、大きな人は入らない。
ゆっくりと世界は崩れていき、真っ白な空間へと姿を変えた。
そう。それで終わりのはずだった。
世界は無に還り、創造主の心には縋るためではない世界が生まれる。そこには姿や役割を変貌させたガーディアンやクイーンがいるはずだった。きっと、何処かの誰か、即ち、運命だとか外側の神様だとかいう存在にとっての想定外とは、ヒューゴの中だけに存在し、動いていたモノ達が強い自我を持ってしまっていたことだろう。
人は誰しも幼い自分を心の片隅に残している。それは大切にしまわれ、時折、ひょっこりと顔を出す愛らしさがあるものだ。しかし、縋りつくものを生み出してしまうほどに幼いヒューゴの創造力は強く、大人になった彼とは別の、幼いヒューゴは、彼の姿がそうであったときのままに存在し続けてしまった。
子供特有のワガママさと病によって得てしまった辛み苦しみが混ぜ込まれたことによって生まれてしまったあの日の幼いヒューゴは、本来あるべき創造主と乖離し、歪な世界を作り直してしまった。創造主ではない、幼いヒューゴが縋りつける世界を。
「今はまだ創造主に影響は出ていないが、よくない傾向であることは間違いないだろう」
バッターは手にしたバットを一振りする。
世界を浄化するための武器は耳障りのよい音を出してくれた。
「オレには神聖なる役目がある」
創造主の手を離れ、負を詰め込まれた幼い欠片に創られたこの世界は、当然ながら歪んでしまっている。その歪みに気づかぬガーディアンは毒され、本来あるべき希望と分離してしまっているのが現状だ。
この世界は間違っている。いつ何時、創造主の心やあるべき世界を侵してしまうかわかったものではない。創造主たる力を持つ幼いヒューゴと対峙するため、バッターは世界にある壁を超越するに相応しい崇高な使命が与えられた。彼を越えるために第三者の、外側の世界からの手を借りることとなった。全ては、真の創造主の思し召しだ。そうでなければ、所詮作り物の存在であるバッターは何一つとして成すことができない。
「……それにしても、皮肉なことだ」
バッターは視線を肉の泉から逸らす。
広がる大地の向こう側に、薄っすらと見える建物。そこに第一のガーディアン、デーダンがいるはずだ。まずは彼を倒し、このゾーンを浄化しなければならない。真っ白で、何もない世界へ。
「お前は父親の善なる部分を象った存在だったというのに」
呆れか、嘲りか、バッターは笑う。
恐ろしくも優しく、長身でよく働く彼の男はバッターとは違う面を見て創られた父親だ。
いくら幼くとも、いくら苦いものを強要されていようとも、ヒューゴは父親の愛を知っていたし、それが自分のためであることも理解していた。ただ、理解と納得は別物で、幼い彼はそれを受け入れることができなかっただけだ。
だから、幼い創造主は二人の父親を創った。
「結局、お前も同じなんだ。
恐れられる存在。恐怖の象徴」
このゾーンのエルセンはいつも怯えている。常に苦しんでいる。
まるで、かつてのヒューゴを見るようではないか。
笑いが止まらない。
悪い父親を、悪い父親が叩き潰すのだ。
これほど滑稽なことが他にあるはずがない。
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