4.いらない男
 最後の最後。一番奥の小さな目的地。その一つ手前。the room。創造主が残したゆりかご。
 かつて、創造主が受けた苦しみや絶望をさらに歪めた幻影が入り混じるこの場所。終わりが近い、ということだけが救いともいえるおぞましさだ。
 この場所でバッターはかつてのガーディアン達を見た。
 希望と慈愛と善意に溢れた三人は、とても良い存在であった。
 病に苦しみ、外へ出られぬ鬱憤を溜め込んだ創造主に必要な存在達。
 一人は人と共に生きるための役目を、一人は望むがままの自由を、一人は未来を思う希望を。
 まだ幼く、苦しみにも絶望にも耐えられない小さな心は、幻想を心の内側に生み出すことで必死に自分自身を外の世界から護り続けていた。その結果生まれたのが彼らだ。
 世界が歪みさえしなければ、ガーディアン達はあるがままに素晴らしいゾーンを栄えさせ続けていたことだろう。
 バッターには知る術もないが、崩壊する前の世界では事実、そうであったに違いない。そうでなければ、創造主が健やかなる成長を進められるわけがないのだ。
 彼らには感謝しなければならない。あの三人があったからこそ、創造主は成長した。そして、世界は崩壊した。バッターはそれだけで良かったと思っている。こんな歪な世界に何の意味があるのかと。
 今、彼の手の中には一冊の本がある。
 紙面上は主に絵で構築されたそれは、漫画本だ。遠い昔、外の世界で、創造主の父親が哀れな息子のことを思って買い与えた本。
 幼い子供が読むには多少バイオレンスで、文字が多いような気がしないでもないのだが、創造主は心の内側に精巧な世界を作り出せてしまう程度には頭の良い子だった。きっと、彼の父親もそのことは知っていたのだろう。
 プレイヤーが決定キーを押す。
 あと一度、漫画の世界を、と言っているのだろう。あるいは、話しの続きが気になるのか。
「いや、もう読まない」
 バッターは首を横に振る。
 どうして、こんなものを再び読まなければならないのか。
 自虐をする趣味はない。
「こんなもの……」
 四つの目が細められる。今にも漫画本を切り裂き、潰し、燃やしてしまいそうな憎悪がそこにはあった。
 それもそのはずだろう。勘の良いプレイヤーならば気づいたはずだ。敵はいつでも左側に。バッターは右側に。そして、漫画本の世界を現すあの世界の戦闘画面。正義の味方であるボクサーは左に。悪のボールマンは右に。
 バッターを形作るイメージの根幹に、ボールマンの存在があることは明白だ。
 崇高な使命を与えられた彼は創造主の父の象徴として生まれた。しかし、創造主であるヒューゴはは父親が嫌いだった。否定の言葉も、厳しさも、常に見張っているような目も、全て全て嫌いだった。だから、バッターには目が四つもある。世界の全てを監視するために。その厳しさを持って、世界を正すように。ジャッジがこの世界に審判を下すのならば、バッターは公正になるように力を振るう。
 しかし、子供には公正などわからないし必要ない。彼の深層心理や構築された世界のなかでバッターがどのような役割を持とうとも、幼い創造主からしてみれば、いつでも自分が世界の中心で、自らの心が正しい。
 ならば、自由を妨げようと監視し、やりたい方向に進んで行こうとすることを悪だと言う可能性のある父親は、どうこねくり回しても悪役でしかなかった。
 その父親が与えてくれた漫画本に載っていた悪役。その姿は、殆どそのままバッターにトレースされた。
 バッターは唇を噛む。
 生まれたその瞬間から、創造主に忌み嫌われていた自分が憎い。この体が恨めしい。父親という重大な存在を象徴としながら、世界を正す役目を与えられながら、創造主に疎まれ、長らく閉じ込められていた自身が忌まわしい。
 ずっとずっと、世界が崩壊するよりも前から、バッターは世界の隅っこ、誰も知らない牢屋の中にいた。誰の目にもつかず、誰も目にしないような、虚無よりも何もない空間。
 だからこそバッターには知らないものがたくさんあった。プレイヤーという第三者の手を借りることで、創造主の力を振り切り、ここまでやってきた過程にも、見知らぬもの、心躍るものをたくさん見てきた。楽しかった、と言ってもいい。この歪み、腐臭を放つような世界でも、バッターは幸福を感じずにはいられない瞬間があったのだ。
 目にすることはなく、ただ、与えられた役割として、世界の均衡と正しさだけを肌で感じていた。一度崩壊し、再び形成されても、彼が住まう場所だけは寸分も変わりはしなかった。
「……どうせ、悪役だ」
 バッターは一人呟く。
 創造主の欠片は、どのような目でバッターを見るのだろうか。
 欠片の願うままに世界を作り、綻びを消すために躍起になって彼を放置してしまっているクイーンは、どのような顔をしているのだろうか。
 何とも奇妙なことだが、バッターは自分と対になっているクイーンの顔を見たことがない。だが、ひと目合えばわかるはずだ。きっと、彼女も。
 これから、この世界を滅ぼすバッターは、寸分の狂いもなく悪役だ。
 それでいい。
 そうあるように生まれたのだから。
 ただ、そう、できることならば。
「この拳を使って戦えば、少しは違っていたのだろうか」
 ボクサーのような、正義の味方になってみたかった。

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