case1
石丸清多夏も霞を食べて生きているような存在ではない。どこにでもいる、いや、少しばかり平凡とはずれているが、それでも生物学的には何の問題もなく、極々平凡な人間だ。
故に、彼も恋をする。
誰かを愛し、欲し、得たいという気持ちを抱くこともある。
「兄弟!」
「おう、石丸じゃねーか。
今日は委員会、ないのか?」
「ああ。今日は一緒に帰ろう」
「久しぶりだな」
石丸の言葉に笑みを返してくれる人間。大和田紋土。
普通の学校でならば問題になりそうな制服の着こなしをしている不良で、今までの石丸ならば彼のことを嫌悪していただろう。しかし、運命とは数奇なもので、石丸が生まれて初めて恋した人物は彼だった。
同性である人間を、それも嫌っていた不良、というカテゴリーに住まう人間を好きになてしまったと気づいたとき、石丸は酷く動揺した。けれど、どう考えてみても大和田のことを嫌いになどなれなかった。
超高校級として同じクラスに所属し、彼のことをよく知った。実は義に熱い人物だとか、約束は必ず守る硬派な男だとか、多くを知り、時には拳さえ交えた。
そうして隣り合う時間が少しずつ、けれども確かに続いた。気がつけば、大和田という男は、性別を越えて石丸を魅了しきってしまっていたのだ。意思の強い薄紫の瞳が宝石にでも見えてしまうほどの入れ込みっぷりだったのだから、恋というのは恐ろしい。
愛おしく思わない選択肢など、存在することさえ許さぬといわんばかりの圧倒的な存在に、石丸は身をゆだねることにした。
「そうだ、兄弟」
「ん?」
石丸は、コンビニで買ったからあげを頬張っている大和田に優しい目を向ける。
常人では考えられぬほどの堅物であった石丸だが、今のクラスに入り、ずいぶんと考えが柔軟になった。それは己以上に我の強い人物や、共に支えあうことのできる平凡友達を見つけたことに起因していた。
当然、大和田の存在も石丸の性質に大いなる影響を及ぼしている。
こうして買い食いをすることも、帰路につく途中に何処かへ寄ることなど、大和田がいなければ今だって反対していたに違いない。
「ボクの家にこないか?」
言い出す一瞬前、唾を飲み込んだことはばれていないだろうか。
石丸はそんなことを考える。
この一言を出すのにどれ程の勇気が必要だったかなど、大和田が知るはずもない。
石丸は大和田を愛していたが、そのことを告げたことはなかった。同性ということで、相手に求めるハードルが高くなることを理解してのことでもあったし、己の中での踏ん切りもいまひとつついていなかったのだ。
しかし、いつかは、と考えてる。そして、そのための布石も考えていた。
その一つがこれだ。
「兄弟のか?」
大和田がきょとん、とした顔をしている。
それもそうだろう。今まで、石丸が誰かを家に誘ったことはない。彼は空き時間があれば勉強をしているような人間だったので、他人を家に招く意義意味が理解できていなかった。希望ヶ峰学園に入り、そういったことも覚えてはきていたが、己の中に確立してしまっている常識を上書きしていくのは難しいことだ。
無論、誰よりも長く石丸の隣にいた大和田がそのことを知らぬはずもない。
「よ、用事があるなら別にいいんだ!」
慌てて言葉を重ねる。
初めて誰かを呼ぶのならば、その特別を大和田に渡したかった。これからも生まれる特別を一つずつ、彼に渡していって、それぞれを大切にしたいと石丸は考えているのだ。
同時に、己の家族に大和田を紹介したい、とも強く思っていた。
友人であり、言えるはずもないけれど恋心を向けている、相手として。いずれ、正式に紹介できる日を胸に秘めながら、家族に大和田のことを受け入れて欲しかった。
「別に用事なんてねーよ。
ただ、初めてだな、って思っただけだ」
「では……!」
「おう。邪魔させてもらう」
「そうか! そうか!
ならば早く行こう! 家はこちらだ!」
「おい、あせんなって」
大和田の右手を掴み、ぐいぐいと引っ張る。
彼が家に来る。彼の手を掴んでいる。その事実だけで、石丸がどれ程、浮かれているか。やはり大和田は知らないのだ。心臓が破裂しそうなほど脈打っていることも、脳からおかしな物質が溢れていることも、どれも彼は知らなくていい。
ただ、いつかその日がきならば、知ってほしい、とも思う。
「ただいま」
石丸が玄関をまたぐ。
「……おじゃまします」
言い慣れていない様子で小さく、しかし、きちんと大和田は言葉を口にする。
彼が今まで訪れていた友人の家というのは、どれも身内が室内にいないような家ばかりだった。仕事、遊び、一人暮らし。どれでもいい。どれにせよ、気をつかい、挨拶をするべき家がなかったということだけは確かなのだ。
しかし、石丸の家は違う。
家に人がいることは玄関に並べられている靴の数で想像がつく。何より、あの石丸の家族だ。真面目で、古き良き日本の家族構成をしているはずだ。
ならばせめて、兄弟分である石丸に恥をかかさぬ程度の礼儀を見せなければならない。
幸いなことに、大和田の実兄は暴走族の総長をしていたわりには常識のある人物だった。そんな兄の教育を時に優しく、時に拳を交えながらも受けてきた彼なので、一般家庭に訪れた際のマナーくらいはわきまえている。
「おかえり清多夏」
案の定、廊下の向こう側から少しばかり年を取った女が出てきた。彼女が石丸の母親なのだろう。
温和そうな表情の奥に見える強さが実によく似ていた。
「――そちらは?」
女の目に大和田が映る。
「ああ、こちらはボクの友人の――」
石丸が言い終えるよりも早く、彼の母親が石丸の肩を掴む。
「清多夏。あなた、どうしてしまったの?」
「え?」
真っ直ぐ見つめられ、石丸はたじろぐ。
傍からそれを眺めていた大和田は、あの石丸でも眼力負けすることがあるのか、と半ば感心していた。何故ならば、この展開はいくつか考えられる展開の一つであり、想像もできていた。だから、慌てる必要などなかった。
どれだけ取り繕ったところで、大和田は不良だ。暴走族の総長だ。一般的な目から見たとき、褒められるような人物ではない。
「以前はあんなに真面目だったのに、最近は帰りが遅いことも多いじゃない」
「それは……」
「あなたはお義父様のようになっては駄目なのよ。
悪いことをしてはいけないの。わかるでしょ」
彼女の口から出てくる言葉が石丸を傷つける。
法を、学校の法を乱す連中。それが不良だ。ならば、それと手を繋ぐのは悪いことなのだ。あの祖父と同じ。
オイルが切れたブリキのように、ぎこちない動きで石丸の首が動き、大和田のほうへと向く。
「……オレ、帰るわ」
石丸は目を見開く。
帰ると言った大和田は、口こそ笑みを浮かべていたが、その目はどう見ても傷つき、悲しみの色を浮かべていた。
否定の言葉を吐かなかったことが、大和田をよりいっそ傷つけた。すぐに気づいた。だが、石丸は動けなかった。母親に肩を掴まれたまま、呆然と大和田が去っていくのを見つめることしかできなかったのだ。
広い、頼りがいのある背中が、やけに小さく見えた。
そしてそれ以来、大和田は石丸と放課後を共にすることはなくなった。
BAD END
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