不二咲千尋殺しの裁判が終わった。
自分で掘ってしまった墓穴と、霧切の観察眼によって突きつけられた証拠により、犯人は罪を認めた。
「始めてくれよ……。
投票タイムってやつをよ……」
大和田は静かに言う。
絞り出したような声を周囲は静かに聞きいれ、手元のスイッチへ目を向ける。死んだ人間と、今この場にいる人間の名前が書かれたスイッチ。そのうちの一つへ手を伸ばし、二度目の処刑へ向けて押した。
「はーい! 大正解でーす!
不二咲千尋君を殺したのは、大和田紋土君でしたー!」
モノクマが笑う。場に似合わぬ陽気な声をあげることを咎めるには、あまりにも今さらすぎた。一度目の裁判のときから、学園長だと名乗ったときから、モノクマの態度は少しも変わっていない。忌々しいほどに。
これから起こるであろう事態に、体を震わせている者もいるというのに、モノクマはそれを考慮しない。むしろ、だからこそ吐き気がするほど陽気に振舞っているのかもしれない。
「今回は満場一致! クロの大和田紋土君もちゃーんと自分に投票しましたね。
さっすが、男の中の男! 強い男だねぇ」
揶揄するように言われ、大和田の表情が一瞬歪む。そのことに気づけたのは、おそらく苗木と霧切、そして、それを狙っていたモノクマだけだ。他の者達は大和田を見る余裕がない者か、そもそも他者に興味のない者に別れている。
人の心に聡い部類に入る苗木は、大和田の表情に疑問を抱いた。そもそも、彼が不二咲を殺した動機だってわかっていない。前回の動機は正当防衛めいたものだった。だが、不二咲に大和田を殺そうとする意思があったとは到底思えない。彼は誰よりも殺しあいを恐れていた。あの姿が演技であったとも考えられない。あの十神でもその点に関しては是と言うはずだ。
同じくらい、大和田が意識して不二咲を殺した、とも苗木は思えなかった。彼は不良で、暴力的なところがあったところは否定できない。事実、苗木も喧嘩の仲裁に入って殴られたことがある。だが、死体の見張りをしていたり、涙する不二咲を庇ったりしていた彼が、人を殺すような人間には思えなかったのだ。
大和田が何を思い、クロとなったのか。それを知っているのは大和田だけだ。しかし、彼は、もはや口にするべき言い訳もないのか、顔を俯けたまま自分の席で立ち尽くしている。このまま何も語らずにおしおきを受けるつもりなのだろう。あるいは、それが正しいのかもしれない。舞園が苗木に罪を被せようとしていたという真実に、彼の胸が痛んだように、世の中には知らぬままの方がいいことがたくさんある。大和田の分の真実を受け止めて引きずって進むには、彼と苗木の間に親交が少なすぎた。
このまま、モノクマが何も仕掛けてこないのならば、苗木も大和田に倣って黙するつもりだった。だが、その思いはあっけなく破れる。それも、モノクマの手によってではない。仲間の一人によってだ。
「……大和田君」
石丸が真っ直ぐな瞳を向けて言葉を放った。その言葉には、視線には、誰から見ても棘が感じられた。
薄暗く沈むばかりだった空気が、一瞬にして裁判中のような緊張したものへと変化する。
「何故、不二咲君を殺したのだね」
見れば、石丸の眉間には深いしわが刻まれていた。感情表現が豊かな彼ではあるが、怒りの感情をこうも露わにするのは珍しい。大抵、彼の感情は、喜哀楽で構成されている。怒の表現があったとして、それは叱ることや諭すことによってなされる。ただ突き刺すような言葉を向けるようなことは今までなかった。
今回の殺人には、彼に強烈な怒りを覚えさせるに足るものだったということだ。
「理由はわからないが、不二咲君はキミに性別のことを明かしたのだろ?
その信頼を裏切り、殺すだけの理由が、キミにはあったのかね?」
赤い瞳が怒りで燃えている。規律を信じ、努力を信じ、性善説を信じているような彼は、人の信頼を裏切る行為が嫌いだった。この世でもっとも唾棄すべき行為とすら認識していた。
石丸は、かつて、彼の祖父が努力を怠り、天才というものに胡坐をかいたことが許せなかった。国民の信頼を裏切った行為が許せなかった。それは石丸の生きかたを決めてしまうほど、強い嫌悪感と失望感として今も彼の心の中に残っている。
今、クロとして立っている大和田の姿に、かつての祖父が重なってしかたがない。超高校級という名の天才で、人の信頼を足蹴にする。そんな人間の存在を石丸は放っておけない。相手が規律を破ることばかりしている、不良と呼ばれる人種であるならばなおさらに。
「…………」
石丸の問いかけに大和田は沈黙を返した。
視線すら返さず、口をしっかりと結んでいる。
「答えたまえ!」
柵を叩き、石丸は怒声をあげた。
どのような理由があったとしても、人殺しは許されない。だが、理由すらわからないのではあんまりだ。死した不二咲も可哀想だ。どうせつまらない理由なのだろうけど、聞かずにはいられない。その上で説教をせねば気がすまない。
石丸の中には、冷ますことのできない灼熱の怒りが渦巻いていた。
「では、黙秘権を発動した大和田君に代わって、ボクが説明しましょう」
モノクマの声に、大和田の顔があげられる。ようやく見えた瞳は不安気に揺れていた。全てを隠したまま殺してくれることを懇願しているようにも見える。
苗木は、その目を見ていると胸が痛んだ。彼が見てきた大和田紋土は、とても強い人間だった。物理的な強さだけではない。約束を重んじ、舞園を殺した犯人へ強い憤りを見せる心の強さをも感じていた。今となっては、心の強さは仮初だったのかもしれないけれど。
しかし、今回の裁判後半からの大和田は違う。例え仮初であったとしても、苗木の目に見せていた強さが消えてしまっているのだ。力なくうな垂れ、口を閉ざし、瞳は不安げに揺れている。「強さ」という鎧を引っぺがされ、「弱い」中身を無理矢理に曝け出されていた。
その印象を裏づけするかのように、モノクマは今回の殺人の動機をつらつらと語りだす。
二人の男のすれ違い。強さと弱さの話。途中、堪え切れなかったように、大和田自身も犯行時のことを口にし始めた。己の罪を他人の口から全て晒されることが恐ろしかったのだろう。
語る声は、瞳と同じくらいに不安定で、弱々しいものだった。
「オレが……。オレが、いつまでも、自分の弱さを克服できねぇせいで、不二咲千尋を殺しちまった」
泣くのではないかと苗木は思った。掠れた声が嗚咽にさえ聞こえた。けれど、現実の大和田は涙一つ流さなかった。弱さを見せたくなかったからなのか、自責の念がそうさせるのか。そんなことは苗木にだってわからない。
ただ、辛かったのだろうことだけはわかった。強く見えていた人間が、ただの人間だと知らされた瞬間だ。苗木は唇を噛む。
大和田が特別弱かったわけではない。不二咲が特別弱かったわけでもない。誰しもが抱えている弱い部分を刺した者が酷すぎたのだ。このゲームの黒幕さえいなければよかったのだ。
「――キミは」
苗木がモノクマを睨みつけたとき、石丸は声を震わせながら口を開いた。
「そんな理由で殺したのか」
赤い瞳から涙が流れる。そこには、理不尽に対する憤りと、現実に対する憎しみが含まれているのだろう。
彼の声は、悲しみや後悔で震えているのではない。先ほどよりも、ずっと強い怒りで震えているのだ。
「約束を守るという心がけは良いことだ。
しかし、そのために人を殺してどうする!」
意思を反映している大きな目は、向けるだけで相手の心を抉ることがある。真っ直ぐな正論だからこそ、心臓がきりきりと音をたてるのだ。わかっていながらも、大和田は石丸の強い力を持った目を見た。
罪を告白した今、視線をそらすことはできない。どこに逃げることもできない。全てを抱えたままに死ぬ、という唯一の逃げ道まで奪われてしまった。
「キミを慕ってくれた不二咲君を何故、何故殺したんだ!」
優しい男だった。言葉の通り、虫の一匹も殺せないような。泣いている姿はたくさん見た。もっと笑っている姿を見たかった。死者に対して思う気持ちはいつだって同じだ。一人目のクロである桑田に対してでさえ、石丸は同じように思っていた。まだよく知らぬ人間だったからこそ、よく知り、風紀を叩き込みたいと考えていた。
人殺しは、誰かの可能性を奪う行為だ。
「たかが嫉妬で!」
許されるはずがない。
石丸の目が、口よりも強く大和田を糾弾する。
あまりにも強いその視線と言葉に、大和田はおしおきを前にして息が止まってしまうのではないかと錯覚するほどだった。
「そもそもの約束も、暴走族の存続だろ?
人々の迷惑になるような集団なんぞ、すぐに解散してしまうべきだったんだ!」
法を破り、他者の迷惑を考えずに動く暴走族を、超高校級の風紀委員である石丸が快く思うはずがない。大和田もそれはわかっており、だからこそ学園生活の中であまり近づかなかった。
「兄貴が作ったチームを馬鹿にすんな!」
投票結果が出てから、大和田は始めて声を大にして反論した。それ程までに、彼にとって暮威慈畏大亜紋土は大切な存在だったのだ。
自信を失い、尊敬する兄をも失った彼に唯一残されたもの。石丸の言葉はそれら全てを否定しかねないものだった。
「規律も守れないような弱い集団の総長であるキミに、何を言われたところでボクは屈しない!
あのような行為に出るのは、根性がない証拠だ!」
人の心を察するということが少々苦手な石丸は、大和田の表情など気にかけることもしない。自分の思いの丈を相手にぶつけるばかりだ。彼の中の正義が揺らぐことはない。
「弱い」という言葉に反応し、思わず言葉を失ってしまった大和田に、石丸はさらなる追撃を加える。
「お兄さんの後を継げないのならば素直に言えばよかったではないか。お兄さんや他の仲間とやらに相談したっていい。
それを変に意地を張るから、実の兄を失うことになったのだろ!」
大和田の喉が掠れた音を出した。
反論も何もかも失った瞬間だった。
自覚し、何年も自責を続けてきたとはいえ、第三者から責められるのは始めてだった。客観的な言葉は、大和田が思っていた以上に彼の胸を刺した。息が止まり、視界がぐらりと回る。
無意識のうちに彼は心臓の辺りに手を置き、強く服を握りしめていた。心臓がみっともないくらい喚き散らす。押さえつけようとしたところで叶うはずもない。
「そんな格好をして、珍走なんぞしているから、根性が身に付かないのだ!」
兄のこと、族のこと、何一つ馬鹿にされたくはなかった。だから反論した。だが、それも、もうできない。自分の罪は認めている。責められてもしかたがない。しかし、思っていたよりも強く鋭いそれは、大和田から全ての言葉を奪ってしまった。
結局、彼は何一つ守ることができなかった。
約束も、不二咲の名誉も、チームの名誉も。何もかも。
「はい。中々面白い出し物だけど、そろそろ時間なんだよねぇ」
間延びした声が張り詰めた空気を壊す。
青ざめた顔をしていた大和田を始めとし、誰も言葉を返さずにいた。怒声をあげていた石丸でさえ、モノクマの言葉ですぐに口を閉ざした。
「それでは!
超高校級の暴走族である、大和田紋土君のために!」
苗木は拳を握り、震えていた。
こんな事件を起こした黒幕を許すわけにはいかない。舞園と桑田の死を背負ったように、次は不二咲と大和田の死を背負う覚悟を決める。
「スペシャルな! おしおきを! 用意しましたぁ!」
赤いスイッチが木槌で叩かれる。
ゲームのような音声が響いた後、部屋が暗転した。次に光が差したときには、すでに大和田の姿はどこにもなくなっていた。桑田があげたような悲鳴はなく、その潔さとも絶望とも取れる無言が苗木を含めた数人の胸を刺した。
その後に待っていたのは、ただの絶望だ。
軽快なドラムロールと、バイクの爆音。電気がはじける音と、最期の最後に漏れ出た大和田の悲鳴が響く。耳を塞ぎたくなるようなおしおきの結末は、今までにない安っぽい音と、放り出されたバターの容器。
朝日奈は即座に口を抑えた。食欲旺盛な彼女は、人が食物に変わった衝撃が直接胃にきたのだろう。涙はなくとも、吐き気と胸のむかつきがおしおきの後に訪れた静寂にはあった。
人の命の軽さ。それを実感せざるを得ない。
next chapter6