学級裁判などという、胃も精神も削り取られるようなものが終わった。時を同じくして、命も終わった。
最期の時は、思い出したくもないほど苦痛と恐怖と絶望に塗れていた。普通の人生を歩んでいれば、まず得ることのない苦しみだ。体が焼ける臭いも、外から溶けていく感覚も、内臓がシェイクされる痛みも、人生の中で一度たりとも経験したくない部類に入る。
そんな壮絶な最期を遂げてしまった大和田紋土であったが、そのことに関して文句や恨み言を並べるつもりはない。何せ、全ては彼の自業自得だ。大切な友人を殺してしまったのだから、受けて当然の罰だった。
「それでは、判決を言い渡す」
死んだはずの大和田は、少し離れたところにいる者を目に映して小さくため息をついた。
そこにいるのは、所謂、閻魔大王というやつらしい。死者に判決を下すのが仕事だそうだが、昨今の死人の数に仕事が回らなくなり、地獄へ行く者に対してのみ裁判が行われるようになったとか、ならなかったとか。
ともあれ、人殺しの身である大和田は当然のように裁判を受けることとなった。こちらの世界で目覚めたときには、またあの恐ろしく絶望に塗れた裁判が行われるのかと半狂乱になったものだ。自業自得とはいえ、あれを経験したのだ。裁判というものがトラウマになってもしかたがないだろう。
だが、現実にはただ粛々と、どうして地獄に落されるのか、ということを言い渡されるだけのものだった。地獄が生温いというつもりではないが、あの学級裁判を経験した後の大和田からしてみれば、それほど恐ろしくもない裁判だ。
過去の二年間を思い出した今となっては、地獄へ落ちることも怖くはない。兄弟達にあわせる顔などすでにないが、落ちるところまで落ちて、苦しみぬかなければならない。そんな自責の念が頭の中にはいくらでもあった。二度と会うことのない胸の痛みくらいでは、罪をそそぐことなどできやしない。
「大和田紋土、貴様は三人の人間を殺した。よって、地獄へ落ちる」
告げられた言葉に、大和田は一瞬呆けた。
今さら、罪に弁解などありはしない。己がやったことの罪深さは誰よりも自覚しているつもりだ。だからこそ、疑問があった。
「お、おい。待てよ!」
両腕を捕まれ、地獄へと連衡されそうになるのをどうにか足の力だけで抵抗する。思わぬ抵抗だったのだろうけれど、使者達は驚いた様子も見せずに引きずる力を強くする。この場所では日常茶飯事の行為なのだ。今さら、大和田の力で裁判を滞らせるようなマネはしない。
しかし、大和田は自分は違うのだと言いたかった。罪を軽くしたいわけではなく、ただ疑問を解消したいだけなのだ。たった一つ、それさえわかれば、後はどのような地獄にでも落ちてやるつもりだ。
「オレが殺したのは二人じゃねぇのかよ!
三人って何だよ!」
叫び声は確かに閻魔へと届いた。
次の罪人へ判決を言い渡そうとしていた彼が、ちらりと大和田を見る。その動作に気づいた使者は、大和田を引きずるのを止めた。何の言葉もなかったというのに、主の命令を察した使者を賞賛すれば良いのか、機械的に仕事をこなしているわけでもなく、言葉を聞いてくれた閻魔に感謝するべきなのか。
迷いながらも大和田は閻魔の言葉を待った。その際、冷たいばかりだった閻魔の瞳がわずかに歪む。
軽蔑か、嘲笑か。判別はつかない。
「――貴様は三人の人間を殺した」
再び同じ言葉が吐き出された。
冷たくも強い声だ。放たれた言葉が過ちであるとは思えぬほどに。
「だから、オレが殺したのは!」
それでも反論を口にしようとして、すぐ止めた。
閻魔がそれを遮るようにして言葉を紡いだからだ。
「自身の兄をその身勝手さによって殺したのが一つ」
言葉に大和田は身を硬くする。
動かぬはずの胸が激しく脈打っているような錯覚さえ覚えた。
忘れたわけではない。今しがた再認識したばかりの事実ではあるのだが、第三者の口から改めて聞かされるとどうにも胸が痛い。無論、そこに同情の念が入る余地などなく、考慮されるにも値しない。
あの日の、己の腕の中で冷たく静かになっていく兄の体を今も覚えているのだから。
「相手の強さを妬み友を撲殺したのが一つ」
罪を提示していく閻魔の声はあまりにも淡々としすぎていて、それがなおさらに罪の重さを自覚させる。
小さな体に、とても大きな心を持った友を殺した。記憶を失う前からの友人を、勇気を出して秘密を打ち明けてくれた友人を、大和田は間違いなく殺した。守るために使うつもりだった力を用いて。
どれも身に覚えがありすぎる罪だ。大和田は、確かに人を殺した。全ては己の弱さが招いたこと。言い訳ができるはずもない。涙を流すことさえ許されてはいない。歯を食いしばり、今にも叫びそうになるのを押し留める。
そんな大和田の姿が目に映っているのか否か、閻魔は変わらぬ口調で最後の罪を口にした。
「裏切りによって兄弟の心を殺したのが一つ」
大和田の時が止まる。
「計三つだ」
当たり前のように告げられたそれは、巡りの悪い頭にとって当たり前に受け止められるものではない。仮に、大そうな脳みそを持っていたとしても、受け止められはしなかっただろうけれど。
「――は?」
精神的な死を軽んじた言葉ではない。
むしろ、その逆だった。
心を殺したという言葉の重みを理解しているからこそ、大和田は声をあげずにはいられなかった。顔を青くし、冷汗を流し、唇は震える。
誰が、誰の心を殺した。
「信じられぬか?」
閻魔が問う。
大和田は言葉を返すこともできず、瞳を揺らし虚空を見つめていた。
「あれを」
黙したままの大和田をどのように判断したのか、閻魔は近くにいた者に何かを指示した。
その間、大和田は膝をつかぬようにするのが精一杯だった。気を抜けば、今にも絶望に取り込まれそうで、心と体が分離してしまいそうだった。
時が経つにつれ、息が荒れてくる。すぐにでも地獄へ落ちて何も考えられなくなりたいとさえ思った。だが、それを口にすることもできない。手の小指一本でさえ、まともに動かすことができない。そんな状況でどうして言葉を吐き出せるというのだ。
真っ白な頭の中にはたくさんのノイズが走る。笑みのような、悲しみのような、記憶のような、感情のような。ぐちゃぐちゃとしていて、ドロドロとしているものだ。今すぐ頭を吹き飛ばされれば、きっと全て綺麗になるはずなのに。
大和田は何かが運ばれてくるのをじっと見ていることしかできない。
「見ろ」
端的な言葉だ。けれど、それだけで十分だった。
のろのろと目を向ける。
「あ、ああぁ……」
とうとう、大和田はその場に膝をついた。
歯を鳴らし、目をそらしたいと願うのに、視線はそこから離すことができない。
「す、まねぇ……。すまねぇ、兄弟。
オレは、オレは……!」
大和田の視線の先には、テレビ画面のようなものがあった。
そこに映し出されているのは、よくよく見知った顔のはずだ。ただ、彼が知っている顔よりもやつれ、生気がない。一目見ただけでわかる。画面に映っている彼の、石丸の心は死んでいるのだ。正しくは、殺された。
その犯人と原因がわからぬほど大和田は愚かな男ではない。今となっては、その方がマシだったのかもしれないが。
「きょうだ、い」
ろくに動かなかったはずの体がゆらりと動き、画面へ近づこうとする。しかし、大和田の左右を固めていた使者がそれを許さない。彼の腕をしっかりと掴み、再びその場へと膝をつけさせる。
それでも大和田はどうにか画面のもとへ、死んでしまった石丸のもとへ向かおうとする。画面越しでもいいから縋りたかった。謝罪をして、罵倒して欲しいと願った。もはやそれしか罪を償える方法がわからない。
大事な人間だった。はじめましてを二度経験し、その両方で始めは馬が合わなかった。両方で兄弟になった。記憶を何度失ったとしても、また兄弟になれる自信がある程に魂の形がぴったりと合う人間だった。殺すつもりなんてなかった。
「わかったか?
なら、安心して地獄へ逝け」
冷たい声が響き、大和田は使者に引きずられるようにして地獄へと近づいていく。
地獄から聞こえてくる叫び声が、だんだんと大きくなる。その道中、大和田はこれも罰なのだと気づいた。
体と心を殺した罰は、肉体が分離した程度では赦されない。殺した者を背負い続け、魂が壊れてしまうまでが贖罪なのだ。
「あ、にきぃ……。不二咲……。兄弟……」
大和田は涙を零すのと同じ数だけ、殺した者達を呼ぶ。謝ることさえ無責任に思え、ただ呼ぶことしかできない。
皆、大切な人だった。死と同時に思い出すことができた学園生活は、とても楽しく幸せなものだった。長年抱え続けていた罪を吐露したこともあった。笑い合い、馬鹿なことをしたこともあった。未来に思いを馳せたこともあった。
誰も殺すつもりなどなかったのだ。結果としてそうなっただけで。
「オレは、また……」
いつだって、大和田は壊すばかりだった。
物を壊し、人を壊し、絆を壊した。
何が、次は作りたい、直したい、だ。その手は何も生み出さない。修繕すらできない。壊すだけだ。超高校級の暴走族など、最後の希望には相応しくなかったのだ。もっと早く、それこそ絶望のゲームが始まる前に死んでいればよかったのだ。そうすれば、少なくとも不二咲と石丸は死なずにすんだはずなのだ。
「赦さないでくれ」
最後の懇願だった。
「絶対、オレを赦さないでくれ」
地獄の扉が開かれる。
「兄貴、不二咲、兄弟……」
絶望は、まだ始まったばかりだ。
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