石丸が天国と形容されているであろう場所にやってきてから幾ばくかの時間が経った。己がやってきた後には、大神がこちらへやってきただけだった。彼女は自身を殺したのであって、他者を殺していないということも聞いている。その後、天に召された人物がいないということは、残された者達は上手くやっているのだろう。学園から脱出できたのか、本来ならば平穏で安全であるべきであったあの場所に留まっているのか。どちらを選択したのかを死者が知る術はない。できることならば、自身達の手で幸せと希望を掴み取ってくれていれば、と願うばかりだ。
 その先に訪れる死の後にまた再会できればいい。学園生活を共にした仲間が揃わぬのは寂しいが、この再会は遅ければ遅い程良い。
 柔らかな風を感じ、青い空を見上げながら過去に思いを馳せる。幸せだった時間ばかりが呼び覚まされてくるこの時間が、石丸は二番目に好きだ。
「石丸君、みんなでピクニックにでも行きませんか?」
 一番好きなのは、こうした瞬間だ。
 最も始めにこの場所へきてしまった舞園が笑みを浮かべ、片手に持っていたランチボックスを軽く持ち上げている。超高校級のアイドルの笑顔に、石丸も自身の中では最上級に位置する笑みを返す。
 不二咲と再会を果たした後、石丸は舞園とも合流することができた。彼女も過去の記憶を思い出しており、学園での生活について花を咲かせあった。もしかすると、学園で生活していた頃よりも、こちらにきてからの方が互いをよく知ったのではないかと思える程だった。それも、一重にこの場所では話す以外にすることが見つからなかった、ということに起因する。
 ここには学校もゲームやインターネットのような娯楽もない。石丸には勉強という最大にして最上級である暇潰しがあったけれど。
 それでも、石丸は希望ヶ峰学園に入学してから、友人と遊ぶということも覚えていた。そのおかげで、空気が読めないと評されることの多い彼も、舞園や不二咲が退屈していることを理解できていた。
 何かできれば、と考えつつも、その何かを思いつくことは難しい。結局、話しをするか、何もせずにゆっくり過ごすか、という無駄な時間の消費ばかりをしていた。 
 それを変化させたのは、最後にやってきた大神だ。彼女は他の誰よりも、外へ出るということが多い人間だった。そんな彼女の提案により、ピクニックを決行したのが事の始まり。今ではただ話しをするのではなく、肩を並べて何処かへ遊びに行く、という選択肢ばかりが選ばれている。
 豊かな自然に溢れたこの場所で、彼らはほとんど毎日のようにピクニックへと繰り出していた。美味しい空気と食事をとり、昔懐かしい遊びをして互いに笑いあい、幸せだということを再確認しあう。
「あぁ。今日はどこへ行こうか」
 男女の割合は丁度半々だ。こうして見ると、上手いバランスの面子だと石丸は心の内で思う。幸いなことに、食糧を供給してくれる施設へ行けば、米でも野菜でも好きなだけ使うことができた。おかげで、栄養バランスにも気を使った料理ができている。無論、すでに死んでいる身としては栄養バランスも何もないのだろうけれど。
 全員がそれなりに料理ができる、とうことも良かった。おかげでピクニックの際に用意するお弁当は当番制になっており、同じ人物に負担をかけることも、同じようなお弁当ばかりで飽き飽きすることもない。ちなみに、今回の当番は舞園だ。見た目に違わぬ女の子らしいものだ。そもそも、男らしい弁当を作るのは石丸くらいのものなのだが。 
「今日は川だよ!」
 舞園の後ろから不二咲が声をあげる。彼の肩には人数分の水筒がさがっている。その表情は、とても明るい。
 殺しあいのゲームが始まるよりも以前、楽しい学園生活を送っていた頃の不二咲だ。優しく、それでいて心の強い笑みが眩しく思える。
「シートは我が持っているぞ」
「ん。そうか。
 ならばボクは何を持とうか……」
 さらに後ろからやってきた大神に、石丸は困り顔を作る。
 不測の事態が起こり得ない場所なので、ピクニックに必要とされる物も少ない。お弁当と水筒、それとシートがあれば十分過ぎる程の用意となる。自身が出遅れてしまったことに気づいた石丸は気まずそうに頬を掻いた。
 不二咲が持っている分の水筒を持とうとすれば、このくらいは平気だと胸を張られてしまう。無理に引き受ければ彼のプライドを傷つけてしまうのは目に見えていた。しかし、だからといって一人だけ楽をするというのも問題があるだろう。
 普段ならば、お弁当を分けて持ったり、手作りのお菓子を誰かが持っていたりするのだが、今日はあいにくとどれも無いようだ。お弁当は大きめのものを一つ舞園が持っているだけだし、その他の包みは見当たらない。
「じゃあ、私達がデザートのフルーツを貰いに行っている間に場所とりをしておいてくれませんか?」
 舞園の提案に石丸は顔を明るくした。仕事を与えられて喜ぶ子供のようだ。そもそも、今から取りに行くらしいフルーツを持てばいいだけだというのに、その発想は消えてしまっているらしい。
「そうか!
 ならば、ボクは一足先に行っておくとしよう!」
「桜のある川だからねぇ」
 決まるや否や歩き出した石丸の背に不二咲が声をかける。
 この場所にある川は一つではない。しかし、その場所によって植わっている木が違っていたり、季節の雰囲気が違ったりしている。おかげで名称がない場所のこともスムーズに伝えることができる。
「了解した!」
 しっかりとした返答をし、石丸は記憶にある道をたどって川へ向かう。
 そこは場所とりをしなければならない程にいつも込み合っているわけではないが、やはり桜のある場所はそれなりに人気だ。良い場所を望むのならば早くに手を打つ必要がある。
 石丸は遠目に桜が見えてきた辺りで駆ける速度を一段階あげた。期待にそえるだけの場所を取らなければならない。彼の中にはそんな使命感があった。
「――あ」
 風が吹き、桜の花びらが舞う。
 木々の下には何人かの先客がいたが、石丸の目を引いたのは彼らでも桜でもない。
 桜には目もくれず、川を眺めている男。その姿に何故か石丸は目を奪われた。
 黒い髪をリーゼントにしたその男は、白い特攻服を着ている。なんと読めばいいのか解らぬ漢字が書かれており、かろうじて「紋土」というものだけが読み取れた。風紀委員としては気になる服装だ。しかし、視線を外すことができないのはそんな理由ではない。
 ここは学校ではない。見たところ、悪いことをしているわけでもないのだから個人の趣味に文句をつけるのも失礼というものだ。彼はおよそ天国に似つかわしい人物とはいえないが、この場所にいるのだから悪い人間ではないはずだ。
 無意味に視線を向け続けているのも失礼にあたる。石丸は彼から目を離そうとする。
 しかし、どうしてか眼球はぴくりとも動かない。まるで白い特攻服に固定されてしまったかのようだ。
「……あの」
 思わず口から言葉が出る。
「ん?」
 己が呼ばれているとわかったのだろう。男が石丸の方を振り向いた。
 おそらく石丸よりも年上であろうその男の顔は、思っていたよりも優しげで、思っていた通り男らしいものだった。どこかで見たことがあるようにすら思えた。そんなはずはないのに。
「何を、しているんですか?」
 頭の中で思考した結果の言葉ではなく、無意識のうちに口からぽろぽろと言葉が溢れる。そうしてやっと、石丸は男に疑問を投げたかったのだと自分の気持ちに気づく。
「うーん。
 別に……。強いていうなら、思い出そうとしてる、かな」
 男は頭を掻き、ため息でもつきそうな声を出す。
「思い出す?」
「あぁ。オレは何か大切なもんを忘れてる気がすんだよ」
 お前はそんなことない? と、男は続けた。
 同時に向けられた瞳に、石丸の胸が痛む。男の目はとても寂しそうな色を持っていたのだ。忘れるようなことは大したことではない、という使い古された言葉を使うことなど到底できない程に。
 第一、石丸は記憶を失うことの恐ろしさと悲しさをよく知っている。そして、それがいかに簡単に失われてしまうことかも。
「以前は。
 でも、今は――」
 もうない。
 その一言が続けられなかった。
 胸が痛む。
「ここにきてからは、面白かったことばかり思い出すんだ。
 でも、本当に、一番、大切だったはずのもんがねぇ気がする。
 そもそも、オレの人生はそんなに良かったことばっかりだったはずがねぇのに」
 石丸は、現在の自分がどのような表情をしているのかわからない。だが、目をそらし、言葉を紡いでくれた男を見るかぎり、よほど酷い顔をしているのだろう。心なしか、頬が濡れている気さえした。
「もう遅ぇかもしんねぇけど」
 男が立ち上がる。
 彼の特攻服についていた桜の花びらが舞い、川に落ちる。
「大切なことは忘れちゃいけねぇよな」
 喪った人物を思うように、彼は空を見上げて目を細めた。死んだのは己のはずなのに。
「ボクは、ボクの大切な」
 忘れていないと、否定しようと、大きな声を出す。
 だが、言葉が続かない。
「悪かった」
 男が石丸の頭に手のひらを置く。大きな手だった。
「変なこと言っちまったな。
 謝る。だから泣くな。
 オレはどうも、お前くらいの歳の男が泣くのには弱いんだ」
「……泣いてません」
「はは。
 そーかい。んじゃ、いいや」
 強気な石丸の言葉に男は笑い、手を頭から離す。石丸はそれが少し惜しいと思った。
「あの!」
 立ち去ろうとする男の背に呼びかける。
「よければ、お名前を教えてください!」
 男が立ち止まり、顔だけを石丸へ向けた。
「大和田大亜」
 口角をあげた笑いかたは、やはりどこかで見たような気がした。
 今度こそ男は立ち去った。残された石丸は桜吹雪の中、彼がしていたように空を見上げる。
 この安寧の中で、自分は何を忘れてしまったのだろうか。

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