【ドルチェットside】
尊敬している人と同じ名前の子供を拾ってから二日が経った。
「お前さ、仕事とかしてねぇの?」
グリードが尋ねてきた。
「あるけど、夜だ。夜。あと一時間もしたら行く」
拾った次の日はグリードの様子を見るために休みをもらったが、さすがに二日続けて休むわけにはいかない。仕事とは言っても企業などではなく、ただのチンピラの集まりだ。ドルチェットはそこの幹部だった。適当な依頼を振り分け、適材適所に人員を振り分ける。
ドルチェットの他にも、優秀な幹部は大勢いる。彼が数日休んだところで、組織に影響は出ない。そうわかってはいても、好きな人が頂点に立っている組織を離れたくない気持ちは大きい。
「へー。そこに好きな奴がいるのか?」
「……ボスだ」
グリードは目を見開いた。
どの辺りが似ているかなどは聞いていたが、どのような関係に当たる人物かは聞いていなかった。まさか、属する組織の頂点が好きだとは思っていなかった。
だが、グリード自身、リンという一族の頂点に恋をしたのだから、似たようなものなのかもしれない。
「どんな奴なんだよ」
「は? 昨日言ったじゃねーか」
グリードが聞きたいのはそういうことではない。
「そいつのどこが、お前は好きなんだって聞きたいんだよ」
ドルチェットは顔を赤くする。反応が面白いと思いつつ、さらに追及した。
「で? どこが好きなんだよ」
顔を近づけて聞くと、ドルチェットは口を開いた。
「オレを拾ってくれたんだ」
ドルチェットは孤児だった。入れられた施設はろくでもないところで、気がつけばチンピラといわれる人間だった。このまま暴力の中で生き、死んでいくしかないのだろうと思っていた。そこへやってきたのがグリードだったのだ。
「あの人は優しいし、暖かい。
絶対にオレらを見捨てない。だから、オレらもあの人を守る」
本当に好きなのだと思い知らされる。短い言葉だというのに、強い思いが込められていた。
「なあ、オレと似てるんだよな」
「中身がな」
過去に浸っていたドルチェットは強制的に今に連れ戻された。
「もしさ、その『グリードさん』がダメだったら、オレを代わりにする?」
ドルチェットは眉間に深いしわを寄せていた。
軽く言ったつもりだったが、彼にとってその言葉は軽いものではなかったのだろう。
「馬鹿言うな。
オレにとって大切なのは、中身でも外見でもない。
あの人が、あの人であるってことだ」
たとえ、彼が記憶喪失になったとしても、精神が壊れてしまったとしても、ドルチェットは後ろにいるのだろう。それほど深い愛なのだ。いや、もはやそれは愛という言葉で表せる思いではないのかもしれない。
「……好き、なんだな」
グリードは小さく呟いた。
「あ、そろそろ時間だ。行ってくるわ」
「おう」
グリードは思っていたよりも体の調子が良くなかった。
長時間の散歩をするとすぐに倒れてしまう。体が弱いわけではなさそうだが、ずいぶんと精神的に追い詰められていたようだ。精神的なものならば、少しでも気を紛らわせてやろうと、今のように会話をしていた。
家からしばらく歩くと、組織が拠点としているバーが見える。そこへ入っていくと、見知った顔があった。
「ドル、きたの?」
「たりめーだ」
同じ幹部のマーテルが口元を緩ませながら近づいてくる。
「別に一週間くらい休んでくれても構わないのよ?」
彼女はドルチェットの思いに少なからず気づいている。だからこそ、組織のボスであるグリードに会えないのが辛いのかと遠回しに問うてくるのだ。
ドルチェットからしてみれば、その言葉が図星なので反論もできない。結果、両手を振り上げ、うるさいと怒鳴ることしかできない。
「何騒いでんだぁ?」
店の奥から出てきたのはグリードだった。
「グリードさん!」
一日会っていなかっただけで、これほど焦がれられるものかと、ドルチェットは自分に呆れた。ちらりと横を見てみると、やはりマーテルは楽しげに口をゆがめている。
「おー。昨日は何かあったのか?」
体調が悪くとも、よほどのことでないかぎりドルチェットは顔を出していた。そんな彼が用事があるので今日は顔を出せないと昨日電話で伝えてきたのだ。グリードとしても、その用事とやらが気になる。
「え、えっと……まあ、いろいろありまして」
まさか子供を拾ったとは言えない。
仕事柄、危険と隣り合わせな人生を歩んでいる。子供とはいえ、他人を簡単に家に上げるわけにはいかない。マーテルに馬鹿にされるのならばともかく、グリードに呆れられでもしたら、生きていく気力がなくなることは必至だ。
「ふーん」
グリードは他人に深く干渉しない。相手から渡されたものは必ず受け止めるが、それを探ることは決してしない。ドルチェットの誤魔化しに何を感じたのかはわからないが、それ以上の干渉はなかった。ただ、どこか冷たい目にドルチェットは泣きたくなる。
こんなことならば、彼を拾わなければとまで思った。だが、思い浮かべたあの子の姿はやはり目の前にいる彼とどこか似通っている。放っておくことなどできるはずがない。
「あ、そうだ。グリードさん、これ」
普段は空っぽなカバンから取り出したのは小さな袋だ。
「ん?」
渡されたものを受け取り、すぐさま袋を開ける。
中から出てきたのは紅い石のついたネックレスだった。
「そういうの好きですよね」
本当ならば、欲しいと言っていたものをあげたかったのだが、グリードは欲すればすぐにそれに手をだす。
プレゼントは彼の好みを熟知しなければ渡すことができない。
「……へぇ」
グリードの表情に笑みが浮かぶ。
心の中でガッツポーズをした。
「お前、このオレに首輪をつけようってのか?」
一気に体が冷える。口調からして、怒っているのではなく、からかっているのだとはわかったが、ネックレスというものをよく考えればそうとれないこともない。
「いや、あの、そういう、わけじゃ……!」
弁解を試みるが、うまく口が回らない。
「……バーカ、冗談だよ」
慌てるドルチェットが面白かったのか、グリードは大口を開けて笑った。マーテルもそれにならう。
それからはいつもと同じように酒を飲み、仕事をこなす。バーが閉まる朝方までそれが続けられる。仕事が辛いと思ったことはなかった。元々夜型であったし、好きなときに好きなだけ休息をとれる会社など、ここの他に存在していない。
幹部はいつも部下達が全員帰ってからバーを出る。グリードも幹部達と一緒にバーを出て、適当な女がいる場所へ行くのが常だ。
「グリードさん、今日はどこへ行くんですか?」
聞きたくないことを聞く。
適当な女に嫉妬したことは何度もあった。しかし、グリードを止める権利がないこともわかっていた。
せめて、どの女といるのかさえわかれば、この嫉妬が少しは抑えられるような気がしている。
「あー。今日はまっすぐ帰るわ」
「え」
青天の霹靂とは、今のようなときに使うのだろうかと思った。
「グリードさん、昨日もまっすぐ帰ってたわよ」
マーテルがこっそり耳打ちをする。
信じられないことだった。あの女好きの強欲が、どこにも寄らずに帰るなど。
「ま、そういうことだからよ。
じゃあいい朝をな」
手を振るグリードの背中を眺めながら、ドルチェットは茫然としていた。
【グリードside】
いつもならば静かで冷たい家だ。しかし、今は違っていた。
グリードが扉をあけると、炊きたてのご飯の香りが漂ってくる。
「お帰り」
そして、迎えてくれる人がいる。
「……ただいま」
慣れない言葉を口にすると、リンは満足げにうなずく。
リンを拾ってから、この光景が当たり前になった。
彼を拾ったその日、いつものようにバーへ顔を出し、女のところへ寄って帰った。すると、扉をあけた瞬間に怒声が飛んできたのだ。
何が起こったのかと目を白黒させていたグリードに、リンは一言、まっすぐ帰ってこい。と、言ったのだ。驚いたまま家へ入ってみると、テーブルの上に食事が用意されていた。初めての経験にグリードは戸惑ったが、リンは帰ってくるころには朝食ができているようにすると言った。
どうやら、冷蔵庫の中に何も入っていないグリードの食生活に見かねたようだ。
次の日、グリードがまっすぐ帰ってくると、宣告通り朝食が用意されていた。リンはお帰りと言ってくれた。それだけのことなのに、グリードは何故か浮かれた気持ちになっていた。
「今日はお味噌汁とか作ってみたヨ」
椅子に座り、用意された朝食を食べる。
「どウ? どウ?」
細い目を輝かせているリンに、美味いと言ってやればほころんだ顔が見られる。
「その袋、どうしたノ」
テーブルの端に置かれた袋を見つけたリンが問いかける。
「ああ、それか」
グリードは手を伸ばし、袋からネックレスを出した。
「綺麗だネ」
紅い石は不思議な輝きを持っていた。
シルバーの鎖と紅い石は魅力的で、男がつけていても違和感はない。
「オレの部下がくれたんだ」
その言葉と同時に、グリードの表情が和らぐ。
「真面目な奴でさ、オレの好みもバッチリわかってやがる」
鼻歌交じりにそのネックレスを首につけた。
「どうだ?」
自慢げに見せてくる姿は褒められることが当然といった風だった。
「似合ってるヨ」
「だろ?」
しかし、実際に似合っていたのでリンは素直に褒めた。
紅い石はグリードの瞳とよく似ている。
嬉しそうにネックレスへ触れるグリード。リンは確信を持った。
「ネ、グリード」
「ん?」
紅い石に触れながら視線が向けられる。
「その部下のこと、好き?」
「はあ?」
大げさなほど驚かれる。勘は外れたのだろうかとリンは首を小さく傾げる。
嬉しそうな姿は、リンがグリードのことを思っているときのそれと酷似していたように感じた。
「あいつもオレも男だぞ」
イエスでもノーでもなく、一般論がグリードの口から出る。
すぐに、目の前にいるリンのことを思い出したのか、弁解の言葉を紡ぐ。
「いや、別に男同士が悪いってわけじゃねぇぞ?」
「わかってル。で、好きなノ?」
一般論はどうでもよかった。
普通は認められないことだとリンは自覚しているし、グリードは自分の価値観で生きていることを知っている。とぼされたという感覚はない。
「……有能な奴だよ」
曖昧に誤魔化した風ではなかった。
リンは察しがついた。グリードは自覚していないだけなのだ。彼がどのような過去を持っているのかは知らないし、興味もない。だが、恋に気づかぬような生き方をしてきたのだろう。
「そウ」
気持ちには自分で気づかなければいけない。リンは追及することをやめた。
「どんな人なノ?」
だが、その人物については気になる。
まだ数日しか経っていないとはいえ、グリードの性格からして一人を好きになるというのは考えにくかった。それ以前に、人を好きになるのかと疑問さえわいていた。それがどうだ。彼は立派に恋をしているではないか。これは聞くしかない。
「ドルチェットか?」
「へー。ドルチェットっていうノ」
好きか嫌いかの問いには時間を要したが、どのような人物かという質問にはすらすらと答えを出す。
「真面目な奴だよ。体調が悪くても仕事しにくるし、オレの好みも把握してるし。
だからか知らねぇけど、浮ついた話は聞かねぇな。いい面してんだけどよ」
揚々と部下について語る姿は、立派な上司にも見えた。ただし、その言葉の端々に自分への忠誠心が嬉しいと出ている。
「大切に、してあげてネ」
リンは片割れのことを思った。
大切にしているつもりだった。家が決めた許嫁にも、グリードのことは話していた。誰よりも一番大切な位置に置いておいてやれば、彼が満足すると思っていたのだ。
「……お前の片割れはオレがちゃんと探してやるよ」
大きな手がリンの頭をくしゃりとなでた。
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