折り返しを越えた木曜日。レオナルドはツェッドと昼食の約束をしていた。人間界の味から異界の味までならぶHLには様々な店がある。懇意にしている店も多いが、たまには新規開拓も必要だろう、という話の流れで取り付けられた約束だ。
「中華とかどうですか?」
「いいですね。でも、ラーメン以外のものがいいです」
「ラーメンなら霹靂庵が一番だしな」
わいわいとした食事は楽しい。
ライブラに所属するようになって、レオナルドはそのことをひしひしと感じていた。ビビアンの店で彼女と話をしながら食べる食事も美味しかったが、仕事中の人間を長くは引きとめておけない。
気兼ねなく話し、食事をする。家族の団欒とは違う暖かさがあった。
「お前達」
ザップが扉に手をかけたのとほぼ同時に、スティーブンが声をかけてきた。顔を見ずとも微笑みを湛えていることがわかる声色は、嫌な予感を三人に突き刺してくる。
油の切れた機械のような軋んだ動作で三人が振り返れば、スマートフォンを手にしたスティーブンがいる。彼の手の中にある小さな機械は、どこかの様子をリアルタイムで流してくれていた。
「仕事だ」
どこかの取引現場のように見える映像は、恐らくチェインが撮っているのだろう。
そうして、スティーブンは取引の邪魔を、あわよくば両組織を潰してこい、と表情で告げる。
「えー! オレら、今から飯っすよ?」
「……仕事ならしかたがないですね」
斗流血法を学んだ兄弟弟子は真逆の言葉を同時に発した。
方やマジかよ、という目を弟弟子に向け、方や呆れた目を兄弟子に向ける。なんともちぐはぐな兄弟弟子だ。
「おい、レオ。お前はここで待機してろ」
飛び出す寸前、ザップはレオナルドを指さして命令する。
当然、レオナルドだけでなく、ツェッドも不思議そうな顔を彼に向けた。スティーブンはどちらでもいいのか、彼らを無視して書類仕事に勤しんでいる。
「何でですか」
先日のこともある。レオナルドは聞かずにはいられなかった。
「馬鹿。お前、またあん時みたいに喰いっぱぐれることになったらどーすんだよ」
ザップは心底辟易とした表情を浮かべた。
彼の言うあの時、とは、ツェッドがライブラに加入してすぐの昼食のことだろう。妙な競争心に火をつけたザップと、食神様からの天罰というダブルアタックにより、レオナルドを含め三人がほぼ丸一日食事を抜く、というおぞましい事態に陥ってしまった。
思い出すだけで胃が痛くなるような飢餓感。もう二度と味わいたくはない。
「時間がかかりそうだったらドギモピザでも頼んどけ」
言いたいことを言ったのか、ザップはレオナルドの返事を聞かずに飛び出す。彼の後ろにいたツェッドは改めてレオナルドに向き直り、苦い声を出す。
「あの人の言うことを肯定するのは……非常に不服ですが、間違ってはいないと思います。
ボクからもお願いしていいですか?」
「そりゃ、勿論いいですけど……」
「ありがとうございます」
丁寧に礼を述べた後、ツェッドはザップの後を追ってライブらから出て行った。
残されたレオナルドはソファに座り込み、二人の帰還を待つこととなる。携帯電話でドギモピザのメニューを探し、腹にたまりそうなものを見繕う。二時間しても帰ってこなければ、四つほど頼もう。そんな心持だ。
クラウスもスティーブンもライブラに残っているということは、あの二人とチェインだけで充分に対処できる相手、ということ。万が一、ということが無いとは言い切れないが、それでもそこそこの時間には帰ってくるだろう。ピザを頼むよりも先に彼らが帰ってきたならば、霹靂庵に行こう。一仕事終えた後に新規開拓する気力は残ってないだろうから、せめて美味しい中華を食べよう。
昼食についてレオナルドは考える。
そうでなければ、足元から這い上がってくるナニカに絡めとられてしまいそうだった。
結果だけを述べるのであれば、レオナルドが二人を送りだしてから一時間と少し経った時点で、ライブラには二人の姿があった。ただし、その二人、とは、レオナルドが送り出した二人とイコールではない。
「ザップさんはどうしたんですか?」
帰ってきたのはツェッドとチェインだ。
多少、彼らの服は汚れているが、外傷は見当たらない。しかし、表情がどこか暗い。
書類を見ていたスティーブンも二人の雰囲気に気がついたのか、顔を上げて声をかける。
「どうした?」
「……馬鹿猿は病院に行きました」
声をこもらせながら、しかしチェインはハッキリと口にした。
だが、おかしな話だ。チェインとザップは仲が悪い。仲間として認め合い、どちらかが死ぬようなことがあれば怒り、嘆くだろうけれど、日常生活ではこれでもか、というほどの険悪っぷりだ。怪我をしたザップにチェインが追い討ちをかける、という姿は珍しくはない。
仕事中にザップが怪我をした。病院に行った。その報告をするために、このような苦々しい表情をするはずがなかった。
「怪我自体は大したことない、と思います。
腕を一本折っただけみたいでした」
付け加えられたツェッドの言葉に、疑問はさらに募る。
その程度の怪我ならば、日常茶飯事といって差し支えないレベルだ。特にトラブルを起こしやすいザップならばなおさらに。
「……あの人、戦闘中に腕を折ったらしいんですけど、ボク達はそれに全然気づけませんでした。
全てが終わって、あの人がボクに昼食のキャンセルを言ってくるまで」
自分達がおかしな様子だと自覚しているのだろう。ツェッドはわずかな沈黙の後に言った。
戦闘中のことだったので、細かなところはわからないが、ザップの腕が折れたのは、ツェッドに向かってきた大物を赫綰縛で捕らえたときではないか、というのが彼の意見だ。だが、その後もザップは平然と戦いをこなしていたという。
詳しく聞いてみれば、病院に行ってくる、と告げたザップの腕には空斬糸が巻きつけられていた、という。
「割れたガラスを一ミリもずらすことなく固定できるような人です。
自分の腕を固定するくらい、なんてことないでしょうね」
つまり、血法を用いて骨を固定したのをいいことに、その後も極普通に腕を振り回していた、ということだ。常人ならばありえない。いくらザップが天才とはいえ、余程の緊急事態でもない限りする必要のない行動だ。それこそ、その場にはチェインもツェッドもいた。助力を求めることもできただろうし、そうせずともザップの怪我を目にとめてさえいればサポートくらいしたのだ。
ツェッドは拳を強く握る。
気づけなかったことも、気づかせまいとされたことも、全てが気に喰わなかった。
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