そうしてやってきたのが本日、日曜日。
 レオナルドは絶賛、ライブラ基地内で留守番中だった。
「……おかしい」
 スティーブンとレオナルドだけが残された室内で、誰にも聞こえない程度の呟きが漏れる。他の面々は諜報の仕事であったり、趣味であったり、出動であったりと、各々の事情のためこの場にはいない。
 残されているスティーブンは書類仕事をしたり、紅茶を淹れたり、と自分の時間を過ごしているので、レオナルドも思う存分思考に浸ることができた。
 近頃はどう考えてもおかしい。異常だ。
 思い返してみれば、ここ一週間の話では収まらないおかしさがある。いつからだったのかはわからない。だが、一週間以上前から、明らかにレオナルドは過剰に守られていた。
 まず、怪我をしない。喜ばしいことではあるのだが、ライブラに属している、という設定を一つ思い出せば、途方もないおかしさだ。確かにレオナルドの仕事は主に戦闘員のサポートだが、ギルベルトやパトリックのように遠くからの支援ではない。
 現場の近くで敵の霍乱し、時には血界の眷属の諱名を読み解くのが仕事だ。
 無傷でいられるような役回りではない。
 さらに、何故そのことにもっと早く気づかなかったのか、と自分を叱咤したくなることなのだが、近頃、ザップを見ない日がない。それは決して、彼が目立つから、という理由ではない。
 毎日毎日、ザップは何気なさを装ってレオナルドの傍にいる。
 この感覚には覚えがある。そう、ライブラに入ってすぐのことだだ。何も知らないレオナルドに、人知れず護衛としての任務を言い渡されていたザップ。あの時と同じ。
 今でも護衛は継続されているし、ザップと顔を合わせている時間はライブラの面々の中で最も長い。しかし、それにしたって毎日毎日四六時中、とまではいかなかったはずだった。
 いったい、いつからだ。それは命令によって行われているのか。はたまた気まぐれか。何か悪いモノでも食べたのか。
 考えることは多い。そして、問い詰めなければならない。レオナルドは決心する。
 怪我をしないのはいいことだ。だが、守られたいわけではない。伊達にHLで日々を過ごしているわけではないのだから、過剰に護衛されるのは男としてのプライドに傷がつく。これでも少しは目の使い方だって覚えてきたのだ。
 兎にも角にも、一つ、今すぐに確認できることがある。レオナルドはスティーブンの前へ足を進めた。目の前にぶら下がっている情報に手を伸ばさないのは猿か阿呆だけで充分だ。
「スティーブンさん、一つ、聞いてもいいですか?」
「ん? どうしたんだい?」
 書類から目を上げ、スティーブンはレオナルドを見る。
 ライブラの副リーダーが腹黒いことは周知の事実だ。もし、ザップの行動が命令によりものであり、なおかつレオナルドに知られてはマズイ類のことであるならば、彼は上手くはぐらかしてくるだろう。仲間とはいえ、一概に信用できる情報源である、とは言いがたい。
 しかし、現時点では唯一目の前にある情報源であることも確か。
 レオナルドは黒い腹の裏に何か隠されていたとしても見極めてやる気概で口を開いた。
「最近のザップさん、何かおかしくないですか」
 嘘をつきなれた目がレオナルドを映している。
 静かな時間。沈黙は、まるで時が止まったかのように感じる。
「……キミもそう思うかい?」
 心臓が十何回か脈打った後、スティーブンは重々しく言葉を落とす。
 否定の言葉でも、はぐらかすための言葉でもない。
 肯定と同意の言葉だ。すなわち、ザップのおかしさは任務によるものではない。彼自身が考え、行動している、ということ。
「あぁ、でもそりゃ気づくか。
 アイツは隠し事が下手糞だもんなぁ」
 そう言ったスティーブンは、困ったような笑みを浮かべていた。
 何となく、気を張っていたレオナルドは肩透かしを食らったような気持ちになってしまったが、そんなことで言葉を止めるわけにはいかない。やっぱり変ですよね、で済ますことできる話ではないのだ。
「正直、ついさっき気づきました。
 あの人のやっていることがおかしいってことに」
「キミは現場にさえ連れていってもらえてないからな。
 しかたのないことだ。気に病む必要はないぞ」
 ふぅ、と息を吐いたスティーブンは窓のほうを見る。
 その方向にザップがいるのだろうか。未だまだ治らぬ右腕で戦っているのだろうか。
「あいつがやたらに過保護なのはキミに対してだけじゃない。
 特に顕著なのはキミに対してだったが……」
 レオナルドは眉を寄せる。
 守る対象はレオナルドだけではない。ザップの周囲にいる人間は限られている。ヤり部屋の女達を除いてしまえば、残るのは殆どライブラの面々だ。どいつもこいつも戦う力を持った者達。庇護下にある、という言葉も到底似合いやしない。
「元々、あいつは血法に関してはとんでもなく器用だ。それ故に、戦闘のサポートをさせることもある。
 しかし、ここ最近はサポートを通りこして全てを一身でこなそうとする傾向にあるんだ。この間の骨折だって、本当ならそこまで面倒を見てやらなくても、ツェッドは自分でどうにかできただろう。
 ちょっとした怪我くらいはするかもしれないが、それだけだ。どれだけ不運が重なっても骨折まではしなかっただろうよ」
 だが、ザップはそれを拒否した。
 ほんのわずかな怪我をツェッドが負う代わりに、ザップが大きな怪我を負った。プラスマイナスで考えれば、圧倒的にマイナスに傾く行為だ。
 少なくとも、今までのザップならば手出ししなかった場面。彼は驚異的な戦闘センスがある。ツェッドに手を貸す必要がなかったことくらいは見抜いていたはずなのだ。
「みんな、違和感を覚えている。
 あのチェインでさえ、ザップに攻撃を仕掛けないくらいだ」
 言われてみれば、最近、見慣れてきていたはずの喧嘩を見ていない。
 それはザップが大人しくなったから、等という理由では決してなく、チェインがザップのおかしさに身を引いてしまっている、というのが原因だったのだ。
「そんな……。
 いくらあの人でも、そんなこと続けてたら危ないじゃないですか!
 止めてくださいよ!」
 ザップは強い。単純なパワーでこそクラウスを下回るが、血法を用いて戦う、となれば良い勝負をするだろう。そのくらいに彼は強い。
 けれども、強い人間は痛みを感じないのか、と問われれば否、だ。怪我をする、痛みも感じる、下手をすれば死ぬことだってある。それを容易く認められるほど、レオナルドは薄情ではない。
 無論、目の前にいる優男も同様のはずだ。腹黒だの、冷血漢だのと評されてはいるが、仲間思いという点に関しては他の面々に退けをとらないことだろう。
 私生活が最低でドクズな底辺男であろうとも、ザップは仲間だ。痛みを感じてほしくない。怪我をしてほしくない。死ぬなど、許されない。
 そんな諸々の思いを腹の奥底に押し込めながら、スティーブンは目を細め、レオナルドに問う。
「……何と言って?」
「そりゃ……」
 レオナルドは言葉に詰まった。
 何と言って、と問われた。答えを返そうとしたはずだ。
 そう、止めなければならない。無茶をするな、と。しかし、ザップに無茶をするな、と言ってみるところを想像するが、適当に流される場面しか思い浮かばなかった。
 ならば、無茶をするなということを理解し、納得してもらうところから始めなければならない。
「何て、言えばいいんでしょうね……」
 弱々しい声が室内に落ちる。
 レオナルドは俯く。
 言葉が浮かばない。
「仲間を守ることは、悪いことか?」
「……いいえ」
「とっさに身を挺することは悪か?」
「……いいえ」
「戦いに赴くことは命令違反になるか?」
「いいえ、なりません」
 そう、ザップのしていることは、間違いではない。
 守ることも、戦うことも、ザップに求められていることだ。今回は、その様子が過剰に見えるだけ。
 トラブルを引き連れてくるでも、薬をキメているわけでも、命令を無視しているわけでもない。強く非難できるような行動を彼は何一つとっていない。
「無茶をするな、とは言ったよ。
 あいつはわかってる、と答えた」
 それだけだ。
 ザップが戦う人間である限り、他者を支援する力を持つ限り、ここ最近の行動に文句をつけることはできない。無理をするな、と忠告するのが精一杯で、それも、ザップが心をこめずにわかった、と言えばそれで終わりなのだ。
 レオナルドは唇を噛む。
 こんな時、無力な自分が忌まわしい。
 戦う力があったのならば、ザップの負担を減らすために動くことだってできたかもしれないのに。
「この間も、怪我をしているのだから任務はいい、と伝えたんだが、行くと言ってきかなかった」
 遠い目をしているスティーブンは、金曜日のことを言っているのだろう。レオナルドに任務であることを気づかせずに行ってしまった男は、度し難いクズと同一人物とは思えない強かさがある。
 だが、いつかその強さが、彼自身を壊してしまうのではないか。レオナルドの脳裏には最愛の妹の姿が映し出されていた。