一つの週が終わり、新たな週が始まる。
 迎えた月曜日、レオナルドはザップの隣にいた。日常生活に見せかけた護衛のためではない。
「もっと下がれ!」
「これ以上下がったら見えるもんも見えませんって!」
 世界の均衡を保つために設立されたライブラ。その中でも本命も本命、ド直球ドストレートをぶちかましてくれる相手。血界の眷属、吸血鬼。それが、目の前にいる。
 新鮮な週の始まりを祝してか、はたまた陰鬱の始まりに嫌気がさしたのか、そいつは街中に現れた。楽しげに町を破壊して回るその姿は、単なる快楽のためにそれを行っているのだ、と想像させる必要もないほどのものだ。
 ライブラの緊急出動に、レオナルドも続いたのは当然のことだった。いくらザップがレオナルドを戦場から遠ざけようとしたところで、対吸血鬼ともなれば神々の義眼が必要となる。
「ならそこから一歩も動くんじゃねぇぞ!」
 叫ぶようにして下された命にレオナルドは黙って従う。
 動けば死ぬ。上手く生きていたとしても、四肢の欠損は免れない。
 眼前ではクラウスの拳とスティーブンの氷、K・Kの弾丸にツェッドの起こした風の余波、そしてザップの炎が舞い上がっている。総攻撃、という言葉が相応しいそれらであったとしても、血界の眷属を完全に殺すことはできない。
 楽しげな笑い声、体の焼ける音。そんなものを耳障りに思いながらレオナルドは血界の眷属を視る。
 視界の端、というには中心過ぎる部分に、ザップの後姿がある。真っ白の服は霧に溶け込むこともせず、レオナルドの正面から一歩も動かない。他の面々は攻撃のため、または避けるためにあちらこちらに動き回っているのだが、彼だけはそれをしようとしない。
 動けば最後、レオナルドが標的になると知っているのだ。
 足手まといになっている、とは思わない。諱名を知るということの重要性を知っているから。しかし、理屈ではない部分が、己の弱さを責め立てる。
 そして、確かにこれならば誰もが違和感を覚えるだろう、というところまで見えてしまう。
 積極的に攻撃を加えていく反面、ザップは自分以外に向けられた敵の攻撃をも血法で弾いていた。どれほどの集中力を持ってして行われているのか、それは全方位、かなりの距離にまで伸ばされる。視覚外で行われている攻撃にも素早く反応し、仲間のサポートを行っていた。
 傍から見ていて不安になる光景だ。
 斗流血法は自身の血を大量に使う技。使えば使うほど、距離を伸ばせば伸ばすほど、消費量は増える。
 一刻の猶予もない。
 レオナルドは目に熱がこもることも構わず、血界の眷属の諱名を探る。
 視線はそらさず、指だけを動かす。刻まれていく文字が、この場にいる全員を救うことになるから。
 長ったらしい文字の羅列を入力していく。できた、と口には出さない。小さな声だとしても、血界の眷属に聞き取られてしまうかもしれない。
 達成感を持ってして、レオナルドは送信ボタンを押す。
 同時に、轟音と閃光が血界の眷属を中心として広がっていく。
 気づいたとき、レオナルドの視界は暗く閉ざされていた。予期せぬ強い光に目が焼かれたのか、仲間はどうなった、と心臓の裏側が冷えたのも一瞬。遠くのほうで響いている轟音が消えると、彼の視界も元に戻る。
 ただし、それは目が回復したからではない。
「――え?」
「ガナルグ・ゼオ・ジルルスマイツ・フォンクローズ・ライエスロ」
 レオナルドの呟きに被さるようにして、クラウスの声が響く。
 口にしているのは、先ほどレオナルドが送った諱名だ。これで戦いが終わる。被害者は大量にいるだろうけれど、それもHLならば大きく取り扱われることもなく収束することだろう。
 ライブラの面々は帰って今日も生き延びたことを感謝し、喜べばいい。
「ザップさん!」
 そのはず、だった。
 血界の眷属は密封され、手のひらに乗るサイズの十字架と化す。それが瓦礫の上に落ちる音が、静かに響く。勝利の音だ。本来ならば、この音と同時に歓声がわいてもいいくらいのもの。
 けれども、今日ばかりはそうもいかない。
 四方から悲鳴にも似た、ザップを呼ぶ声が聞こえてくる。
 視界が元に戻ったとき、レオナルドが初めにみたのは、血界の眷属でもクラウスでもない。
 白い服を真っ赤に染め上げ、かすかに動くこともなく地に倒れているザップの姿だった。
「ザップっち!
 なんで……。どうして、アタシ達を庇ったりしたのよ!」
 K・Kの悲鳴が辺りに木霊する。
 血界の眷属を回収したクラウスも慌ててこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「ふざけないでください。
 ボク達にだって、自衛手段くらい、あるんですよ……?」
 ツェッドの声が震えている。
 あの轟音と閃光が広がった瞬間、レオナルドは目を焼かれたわけではなかった。視界が暗かったのは、守られていたからだ。赤黒い塊、ザップの血によって。
 あの時、誰もが視界を塞がれた。いや、光から守られた。音からも、衝撃からも守られ、全員を守ったそれは、おそらくザップが倒れるのと同時に解除されたのだ。
「まだ息はある!
 病院へ連絡を!」
「ザップ、しっかりするのだ。死んではならん!」
 こうなることが恐ろしかった。
 レオナルドは周囲の音を遠くに聞きながら、ザップを見つめる。
 彼から流れている赤い血は今も地面を侵食している。今日はどれほどの血を流したのだろうか。もしかすると、ザップは傷による死ではなく、術の多用による失血をもって死を迎えてしまうのではないのか。
 大体からして、攻撃の全貌を誰一人として把握できていない。倒れているザップや周囲の様子から、音の衝撃波による攻撃だったのだろう、という憶測をめぐらせるだけだ。
 ザップの体は、瓦礫によって砕かれ、切り刻まれている。何かが貫通した跡がないだけマシ、という状態だ。
 彼一人が全てを背負うくらいならば、全員で何処かしらの骨を折っているほうがずっとよかった。そうあるべきだったのだ。誰か一人が犠牲になるような結末を望む者はこの場にいないのだから。