目の前には悪魔の死体と生きている女王。
女王は涙を流していたようだ。
悪魔は今も赤い血を流している。
赤い血は、隻眼だった彼の眼の色とよく似ていた。
【横切る黒猫は女王の方を振り返り鳴いた】
幸せの時間を邪魔されたはずなのに、何故か怒りは感じなかった。それどころか、苛立ちも感じない。それらの感情が抜け落ちてしまったようだ。
「殺す」
二丁の拳銃がミーへ向けられる。
「嫌だね」
クロへ拳銃を向ける。
互いに動かず、瞳を見つめる。
片方は怒りや憎悪に満ち、もう片方は虚無な瞳をしていた。
「キミのこと嫌いだな」
ミーは笑みを浮かべている。顔全体で笑っているはずなのに、それを笑みとして認識できない気持ち悪さに眉をひそめる。
「キミがいたから、ボクの大切な人が殺されたんだ。
だから、ボクはキミを一人にしてあげたんだ。今、どんな気持ち? ボクもキミも一人ぼっちだよ」
一人ぼっちなのはミーだけだと告げたかった。
クロにはまだ部下達がいる。しかし、彼はどうだ。今では広い館もたった一人だけのものと化している。それをぶちまけてやろうと口を開いた。だが言葉はでない。言葉よりもはっきりとした何かを瞳が告げている。お前も一人なのだと。
依存しすぎていた。無意識のうちに、クロの心はデビルとマタタビに捧げられていた。二人が死んだ今、クロの心は置き場をなくしてさまよっている。
「ここも変わるだろうね」
二大ファミリーが仕切っていた。片方が潰れれば均衡は崩れる。いや、もはや片方ですむ問題ではなくなってしまっていた。
この町は大きく変わるだろう。
「どう変わると思う?」
意味もない質問をクロは投げかけてみる。隙を狙ったわけではない。
「……どう変わって欲しい?」
質問に質問が返される。
少しだけ考えてみた。浮かぶのはどれも漠然としたことばかりだ。具体的にどうなってほしいのかは想像もできない。
「ただ」
「ただ?」
こうして言葉を交わしていると、旧友と自分達の町をもっとよくしようと語り合っているように感じられる。
「幸せになってほしいな」
ぎこちないクロの笑みにつられたのか、ミーも自然な笑みを浮かべた。
「そうだね」
ミーもクロも幸せだった。
幸せだったはずなのに、今ではこうして拳銃を向け合っているのだ。どちらかが引き金を引けば、片方の命は終わる。運が悪ければ二人分の命が失われるだろう。
「仕事してよ」
「家に帰って」
「大事な奴に迎えられて」
「美味しいご飯食べて」
「暖かい風呂に入って」
「柔らかい布団で寝る」
簡単な話なのに、二人の中では夢の話なのだ。
仕事はこれから難しくなるだろう。家はもう崩壊寸前で、大事な人は消えた。
「今更、やり直す気にはなれないんだ」
クロへ向けていた拳銃をゆっくりと下ろす。
「でも満足だよ」
下ろされた拳銃はミーのこめかみに突き付けられた。
「彼の仇をとれたんだから」
目を見開き、引き金を引く。
クロは止めなかった。目をそらすこともなかった。
銃弾がミーの頭を吹き飛ばし、新たな血だまりを作る。
「……オイラにも、仇とらせてくれよな」
マタタビの、デビルの仇はとれなかった。あの時、ミーよりも早く銃弾を放つことは容易だったはずなのに、クロはそれを選ばなかった。
「あー」
その場に膝をつき、天を仰ぐ。
暗雲が立ち込めていた空は、わずかに晴れ間を見せ日差しを地上へ送り届けている。
「みんな、死んだんだな」
仕事柄、死と接するのはしかたのないことだ。しかし、短期間に多くを失いすぎた。
心に穴が開く。そこから何かが流れ出し、外へ出て消える。瞳を閉じ、夢を見た。
幸せな夢だ。ボスに拾われる前の夢。
横切る黒猫は女王の方を振り返り鳴いた。
不吉な鳴き声は死を招き、女王の心の臓を止める。悪魔を殺した女王も、黒猫には敵わない。
さよならの言葉を黒猫は知らない。女王は黒猫を指差した。
後は世界と黒猫だけだ。と、か細い声で呟いた。
第十四幕