『サクラファミリー』には時期ボスと言われている人物がいた。
 彼は現ボスの血縁ではない。噂によると、十数年前に路地裏にいたところを、拾われたらしい。
 ボスの血縁者ではなく、どこの馬の骨ともしれぬ彼であったが、彼が次のボスになることに反対するものは少なかった。優しく、どんな身分の者にも優しく接するその姿勢と、ファミリーの中でも随一の銃の腕前を持っていたからだ。
 常に黒い服に身を包んだその姿と、元路地裏出身ということを蔑み、彼を嫌う者は『黒猫』と彼を呼んだ。




【黒猫には悪魔がよく似合うと誰かが言った】




 サクラファミリーにキッド、いやクロが入ってから十数年経った。
 ボスに自分が死んだ後のことを頼むと言われた日、クロは今までの自分と決別するために自らの名を変えた。皆が自分を『黒猫』と呼ぶのならば、クロと名乗ろう。
 誰かを殺すことにはためらいがあった。
 今までのように、生きるために殺すのではない。組織を大きくするために殺すのだ。彼らにも生きるべき未来があり、待つ家族がいたのだろう。
「キッド、大丈夫か?」
「ああ、それより、オイラのことはクロって呼べって言ってるだろ」
「拙者とお主の仲ではないか」
 そう笑うマタタビには右目がない。以前、クロを狙った敵から彼を守った際にできた傷だ。二度と光を映すことはない。
 眼帯を見るたびに、クロはマタタビをこちらの世界に連れてくるべきではなかったと思う。手先がきようで、要領もいいマタタビのことだ、路地裏でも普通に生きていくことができただろう。
「お主は優しいからな。兄貴としては心配だ」
「誰が誰の兄貴なんだよ」
 軽口を叩きあいながらも、心配してくれるのは嬉しい。
 血と硝煙の匂いに慣れてしまい、罪悪感も涙も全て失いそうになる寸前のところで、マタタビが支えてくれる。
「ま、とっとと、仕事を終わらせて、美味い飯でも食べようぜ」
 マタタビが掴んでくれた部分から、じんわりと暖かさが体を包む。確かな人の温もりを感じれることが幸せだ。
「へー。あれが『不幸を招く黒猫』か」
 二人から少し離れたビルの上で、一人の男が呟いた。赤い瞳を光らせて、二人を目で追う。
「ちょっと面白そうかも」
 口角を上げ、男は消えた。




 今夜、クロとマタタビがするべき仕事は小さなファミリーを潰すこと。 
 弱小だと今までは放って置かれていたのだが、ここ最近サクラファミリーの縄張りで、勝手なことをしていた。小さなファミリーなので、最低限の人数。つまり、クロとマタタビ。そして数十人の部下だけが今回の仕事に参加している。
「じゃあ、オイラの合図で一斉に行くぞ」
「はい!」
 クロの部下達は優秀なことで評判だった。
 技術もさることながら、クロのためならば命を失っても構わないという姿勢が高い評価の理由だ。
「行くぞ!」
 クロが見張りの頭を撃ち抜く。
 一般市民は巻き込まない。気づかせないが心情のサクラファミリーは、全員にサイレンサーの取り付けを義務付けていた。
 これは一般市民に気づかせないだけではなく、敵のアジトに侵入した際に、気づかれにくくなるという長所がある。ただし、アジトに殴りこみにいく際にサイレンサーをつけるのは、卑怯だというファミリーも少なくはない。
「黒猫だ! 黒猫がきたぞ!!」
 部下達が流れ込むと、流石に気づかれる。
 クロは敵の銃弾に当たらぬよう、障害物に身を隠しながら敵の脳を確実に狙う。心臓を狙ったほうが、撃ち損じたときにも弾は体の何処かに当たると言われているが、クロは執拗に頭を狙った。
「キッド、本当に無茶はするなよ」
 耳もとで囁き、マタタビが駆けていく。
 銃の扱いが苦手なマタタビは、暗器をつかい、敵を仕留める。特に好きなのは刀と爆弾だ。
「ああ、わかってるさ」
 マタタビしか知らぬことだが、クロは罪悪感を感じるために頭を狙う。
「クロさん、東塔殲滅しました!」
「西塔も殲滅完了!」
 小規模なファミリーとはいえ、それなりの人数がいたはずだ。それをこの短期間で殲滅させることができたのは流石としか言えない。
「じゃあ、後はこの塔だけか」
 中央塔にはクロとマタタビの二人だけが潜入していた。
 一番殲滅が遅くても問題はないだろう。
「お前らは外で待機してろ」
「え、ですが……」
「いいから。いいから」
 クロは笑いながら部下達を外へ追い出す。
「一旦帰って、硝煙の匂い消したら、酒でも飲みに行こうな」
 飯を喰いに行こうとは言わない。
 慣れているとは行っても、人を殺した後に何かを食べるというのはためらわれる。
 銃弾を確認し、マタタビが殺してできた死体の道を悠々と歩く。向かうのはボスがいる部屋。今頃は銃を構えて扉の向こう側からクロが来るのを待っているのだろう。
 ドアノブを握る。
「拙者が行こうか?」
 マタタビが尋ねてくる。
「いや、オイラ今回はあんま暴れてねーし。
 お前はあいつらと一緒に外で待っててくれ」
「……了解した」
 少々不満そうではあったが、マタタビは外へと足を進める。
 足音がしないのは暗器を使う者だからなのだろうか。
「ほーら。行くぞ。開けるぞー」
 向こう側の敵を脅すように言葉を紡ぐ。
「いーち、にー、どーん!」
 勢いよく扉を開けると、やはりそこには銃口を向けたボスがいた。
 ボスの姿を確認すると同時に、クロは身を屈める。銃弾は直線にしか飛ばない。扉が開かれると同時に引き金を引かれたため、銃弾は舌には飛ばない。
 銃口を下に向け直し、引き金を引こうとする。
「気ぃつけろよ」
 クロに銃口を向けるために、ボスは無防備にも頭をさらしてしまった。
 照準をあわせるのはクロの方がわずかに早い。引き金を引くのはさらにクロの方が早い。
 放たれた銃弾はボスの眉間に当たり、頭蓋骨にめり込み、後ろ側から破裂した。その頃になってようやく、ボスが放った銃弾は床へとたどりつく。
 無論、そこにクロの姿はない。
「終わったな」
 部屋は脳がばら撒かれ、汚らしい惨状となっている。
 汚いことをしてきた人間なのだから、このくらいが似合っていると言ってしまえば、それまでだ。
「へー。お前面白いなぁ」
 不意に部屋に響く声。
 クロは振り返る。
「人を殺すのが嫌って面だ。だけど、そんなもん部下には見せられねぇから、外に追い出した。そんなところか」
 いつの間に部屋に入ってきたのか、そこには赤い目をした男がいた。
「お前、何もんだ?」
 外には部下もマタタビもいる。そう簡単に侵入できるはずもなく、元々この屋敷にいたとしても生きていることはおかしい。
「んー。フリーの殺し屋。
 『死の悪魔』とでも言えば、わかるか?」
 男はニヤケた顔をしながら、右手の甲をクロに見せた。
 そこには『D』と赤く彫られている。
「お前がデビル……」
 男は有名な殺し屋だった。
 気まぐれで、気に入った依頼しか受けないが、その腕は確か。デビルに狙われて生き延びた者はいないとまで言われている。殺しに使う武器も多種多様で、銃火器から刃物。爆弾、薬物。何でも使うことで有名だ。
「そっ。今回のオレ様が受けた依頼は『黒猫の抹殺』」
 赤い瞳を光らせてクロを見る。
 デビルの危険性は十分に知っている。クロも銃を構えた。
「……だが、この依頼は破棄だ!」
 両手を上げて笑う。
「はあ?」
 マフィアの世界でも、殺し屋の世界でも、一度請け負った依頼は必ずやり遂げるのがルールだ。簡単に依頼を破棄するような者に仕事を与える奴はいない。
「オレ様はお前が気に入った。だから殺さん。
 そうだ、お前のために誰かを殺してやってもいいぞ」
 呆然としているクロを放って、デビルは自分の持つ武器を見せる。
 己の手の内を明かすことで、敵意のなさを見せようとしているのだろうか。
「アジト帰れば、まだまだあるが、手持ちはこんなところだ」
 出されたのは大小様々なナイフと、小型の爆弾。見るからに体に悪そうな液体などだった。
「……なんで、オイラにそんなものを見せる?」
「言っただろ? オレ様が気に入ったからだ」
 デビルはクロの横を通りすぎて、ボスが座っていたであろう上質の椅子に腰かける。
 上質とは言っても、今ではボスの血や肉片やらで汚れていて、とてもではないが座る気にはなれないような物だ。
「お前、えげつない殺し方して、自分が悪いって思いたいタイプだろ?」
 目を見開き、デビルを見る。
「普通、そういうタイプは自分が可哀想だってオーラを出してんだよ。
 だけどお前は違う。罪悪感感じて、責めて欲しい反面、誰にも慰められたくないし、気づかれたくない」
 マタタビが漠然と感じていたことをデビルは言葉にし、クロへ投げかける。
「そうやって、一人で壊れていきたいんだ。
 責められたいし愛されたい。守られたいし、殺したい。矛盾を抱えた面が気に入った」
 デビルは笑う。
「オレ様が気に入ってる間は、愛してやるし守ってやる。望むなら責めてやるし、殺されてやる。
 なぁ、悪い条件じゃないだろ?」
 血溜まりの中でデビルが手を差し伸べ、クロはその手を取った。









第三幕