暗い闇に溶けぬオレンジの髪を揺らしながら、マタタビはやってきた。
「『壁はいらない』」
 見張りをしている者にこの言葉を渡せば、簡単に道は開いた。いっそのこと、ここで武器を振り回し、このファミリーを壊滅させることができたのならばよかった。
 誰かを連れてくるという発想がなかった。あの青い瞳が何故か忘れられない。




【サディスト女王は虎猫を足蹴にする】




 誘われるがままに足を踏み入れた館は、サクラファミリーのものとはまったく別の雰囲気ではあったが、その大きさや豪華さは変らない。
「やあ、よくきたね」
 一際豪華な扉の中にいたのはあの女王だった。
 昼間会ったときとは違い、ラフな格好をしている。ジーパンを履いていても、威厳を失わないのは頂点に立つ者としての風格がそうさせているのだろう。
 何を言っていいのかわからず黙っていると、ミーは笑みをより一層深くする。
「とって喰おうってわけじゃないよ。
 君を殺せば、彼が悲しむのは間違いないだろうけどね」
 やはり一人できたのは間違いだったと思わされる。クロを守りたいだけなのに、どうしてこうも難しいのだろうか。
「もっと近くに寄ってよ」
 有無を言わせぬ口調に、ミーのそばまで近づく。
 突如、マタタビの腹に激痛が走る。見ればミーの拳が腹に食い込んでいた。
「き、さま……」
「うん。その顔、好きだよ」
 綺麗な笑みだ。クロのような明るいものではないが、夜に輝く月のような美しさがある。自分が痛みに呻くことで、この美しさが見れるのならば、それでもいいかと思える。
「こっちにおいで。ここじゃ汚れちゃう」
 痛む腹を抑えながら、ミーの後に続く。秘密の地下室というものが存在するらしい。
 仮にも敵側の人間である自分に、ここを教えてしまってもよいのだろうか。そんなことを考えていると、ミーはそれを見透かしたかのようにいいんだよと言った。
「ほら、見てごらん」
 暗い部屋ではよく見えない。ミーが手にしたものを見ようと目を凝らす。
「本当、無防備だね」
 顔面を殴られた。衝撃で思わず床に倒れる。石造りの床は冷たく、マタタビの体温を徐々に奪っていく。立ち上がろうとする動作を防ぐかのように、ミーが馬乗りになり再び殴る。
 数発殴られ、呻いている間に手を縄で縛られた。
「ボクはさ、サディストなんだよね」
 彼が女王と呼ばれる理由の一つだ。
 笑みを浮かべたまま、壁にかけられていた鞭を手に取る。それを向ける相手は、芋虫のように床に這い蹲るトラ猫。ただ、彼は鞭を向けられても恐怖に怯えた顔はしない。
 腕が振り上げられ、鋭い音が響く。
 服の上からとはいえ、鞭で叩かれれば痛い。
「彼はどう思うかなぁ?
 信頼している君が、敵であるこのボクに甚振られているなんてさ」
 鞭がやんだと思えば、蹴りが入る。油断していたためか思わずえずく。
「……ああ、違うか」
 苦しそうに眉を寄せているというのに、どこか蕩けたような瞳をしている。ミーは男の急所である場所を踏みつけた。
「君、ボクと相性がいいのかもね」
「――っ! や、めっ!」
 踏みつける力を強くすれば、抵抗する力も強くなる。しかし、同時に快感を得ていることも一目瞭然だった。
「ほら。見てごらんよ。
 君は、君の大切な人の敵に、甚振られて、嬉しいんでしょ?
 きっと彼は失望するね。君なんてポイと捨てられちゃうよ」
 楽しそうに語る。マタタビは瞳を細くして、自分の体に恐れを抱く。
 目の前にいる奴は敵だ。今、ここで殺しておけばクロが幸せになれる。なのに、自分にはそれができない。
 縛られているとか、ここが敵陣だからという理由ではない。今、体に宿っている快楽から逃れることができないと本能が言っている。残っている左目から涙が溢れた。
「あーあ。泣いちゃった。
 やっぱり右目からは何も流れないんだね。そうだ。ちょっと見せてよ」
 眼帯を剥がされる。
「気持ち悪いね。名誉の負傷?
 こんな状況じゃ、名誉も何もあったものじゃないけどね」
 優しく頬を撫でられ、再び殴られる。
 叩かれ、殴られ、なぶられ、蹴られ。マタタビは意識が遠のいていくのを感じた。
 その中で浮かんだのは、目の前にいる女王の姿ではなく、いつも隣にいた黒猫の姿だった。
「――すまん」
 謝罪は音になることなく、地下室の石に吸いこまれて消えた。








第六幕