真実を誰か教えてくれ。
 そんなことばかりが頭を駆け巡る。
 知らなければならないことなのに、知るための手がかりが少ない。
 知ることができなければ、何をすればいいのかもわからない。




【黒猫は問いかけ、虎猫は沈黙を守る】





 マタタビが朝帰りをするのは珍しくなくなった。
 側近といえども、マタタビも一人の人間であり、男手ある。クロも深く追求しなかった。見える部分には傷や痣を作らなかったため、クロからしてみれば取るに足らないできごとだった。
 朝帰りをしても仕事のノルマはこなしていたので、誰も文句は言わない。
「また朝帰りか? いい身分じゃねーか」
 門に背をつけ、帰ってきたばかりのマタタビを一瞥する。
 赤い瞳に姿を映されたマタタビは一瞬たじろいだが、すぐに平静を装う。
「別にいいだろ」
「いーや、よくないね。
 最近のお前は目に余る。本当は放っておこうと思ってたんだがな……」
 一枚の写真をマタタビに突きつける。
 それはミーの館から出てきたばかりのマタタビの姿だった。
「貴様っ! それをどこで……」
 伸ばされた手を軽く避け、冷たい目を向ける。
「お前が何をしててもオレには関係ない」
 心の底が冷え切りそうな目だった。
「だが、何にもならないってことだけは覚えとけよ」
 マタタビが自らの体を売ったとしても、ミーはクロと手を組むことはない。一時的にミーの目をそらすことができるだけだ。得るものがあるとするならば、日々増えていく傷だけだ。
 悔しげに歯を食いしばる。何にもならないことなど、本人が一番よく理解しているのだ。それでもやめることができない。
「……今日はゆっくりしとけよ」
 優しさにも似た拒絶が胸に刺さる。
 頭を冷やせ。クロに近づくな。そんな言葉を投げられた方がずっと幸せだった。
「…………」
 デビルの顔を見ずに、マタタビは走り出した。
 誰の顔も見たくない気分だった。
 自室に入ると、上着を脱いでベットに沈み込む。
 このまま一生眠っていられたら幸せなのだろうか。何も考えずにすむ。体の痛みもすべて消えてゆくだろう。




 デビルから今日の仕事にマタタビを入れない方がいいと言われた。
 ここ数日、行動を共にしていなかったので、たまには一緒にとも思ったが、自分もいい大人だ。わがままばかり言ってはいられない。仕事に関してあまり口を挟んでこないデビルがわざわざ言ってきたのだから、それ相応の理由があるのだろう。
 だからクロは了解した。
 数名の部下を引き連れ、仕事に出かける。デビルはついていくと意思を示したのだが、クロがそれを断った。
 それほど手間のかかる仕事ではなかった。戦闘になる予定もなく、ただ淡々と契約が進むだけの予定だったのだ。
「こんなところで会うなんて、奇遇だね」
 予定が狂ったのは、約束の場所にミーがいたことから始まった。
 どうやら、業者の方が予定を重ねてしまっていたらしい。業者側も自分達のミスがどれほど不味いものかよく理解しているらしく、地面に手をついて謝っている。
 ここで銃撃戦でも始まれば彼らもタダではすまない。
「……オイラは穏便にすませたいんだが」
「奇遇だね。ボクもだよ」
 敵対しているとはいえ、ここで戦うにはあまりにもデメリットが高い。
 一般人に契約の場を見られる可能性もあり、贔屓にしている業者にも迷惑がかかる。
「んじゃ、そっちの用事をさっさとすませてくれ」
「わかった」
 ミーの引き連れていた部下達が警戒してこちらを睨みつけている。クロの部下も似たようなものだった。
「それじゃ。ボクはこれで」
 無事に用事を終えたミーは立ち去っていく。
「ああ、そうだ」
 一度振り向き、クロをその視界に捉える。
「君のところのトラ猫。良い声で鳴くね」
 目を細め、歪んだ笑みを浮かべていた。
「……は?」
 始め、何を言っているのかわからなかった。
 だが、ミーの言葉を頭の中で繰り返し、少しだけ意味を理解した。
「お前、マタタビに何しやがった!」
 銃を抜き、照準をあわせるとミーの前に部下達が並ぶ。
 一触即発の空気が流れた。
「知ってるかい? 彼の肌は思ったよりも白いよ。
 あの白い肌に赤い線が走ると、とても美しい。あの赤い目とよく似た赤い線がね」
 マフィアの人間は普段からスーツをきている。当然、服の下がどのような色かなど知れるはずもない。ミーの言葉を信じるならば、ミーはマタタビが服を脱ぐような場面に遭遇したことがあるということだ。
 何を意味しているのか、何を伝えたかったのか。何もわからなかった。ただ、気づけばミー達の姿はなかった。
「どうします?」
「……予定は変えねぇ。契約をすませて帰るぞ」
 クロの顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。
 だがボスとして仕事をこなしていくクロに、部下達はかける言葉がなかった。ミーの言葉は意味深で、マタタビに真実を追究したい気持ちではあったが、それをするのはクロの役目だ。
 いくつかの条件を業者に出し、業者はそれを了承する。最後に契約書をお互いに書かせ、すべては終わる。たったこれだけのことをしにきただけだというのに、とんでもない事態になってしまった。
 帰り道、いつもはのんびり風景を楽しみながら帰るクロがやけに早足だった。理由は察しがついているので誰もそのことに触れない。
 館が見え始めると、その足取りは重くなる。
 感情が出やすい人だと部下達は心配する。頼りになる人ではあるが、自分のことになると途端に弱くなる。背中を押す権利さえない自分達がもどかしくなる。
 ようやく館につくと、クロは即座に解散を命じた。
 部下達が口を挟む間もなく早足で去っていく。おそらくは、マタタビの自室に向かったのだろう。
 マタタビはといえば、眠りから覚めてしまい、現実を見るはめになっていた。これからどうすればいいのだろうか。考えたところで、自分の行きつく先は予想できている。それが良い方向ではないとしても。
 自己嫌悪に陥りかけていたマタタビは、外から聞こえてくる足音に顔を上げた。
 足音は唐突に止まり、ノックもなく自室の扉は開かれた。鍵をかけていなかった方も悪いが、いくらなんでもマナーがなっていない。
「キッド、人の部屋に入るときはノックくらいしろ」
「……なあ、マタタビ」
 説教は届いていなかったようで、クロは静かに言葉を紡ぐ。
「お前、ミーと会ってるのか?」
 その言葉を口にしたとき、クロはひどく不安げな表情をしていた。
 答えが怖いのだろう。
「…………」
 マタタビは答えない。
「沈黙は、肯定、だぞ?」
 今からでも否定してくれとクロは言いたげだった。
「…………」
 やはり答えぬマタタビに、クロは口を大きく開いた。
「どういうことだ!
 オイラを裏切ったのか?!」
 館中に響いてもおかしくないほどの音量だ。
「…………」
 怒りを爆発させているクロにもマタタビは動じない。ひたすらに沈黙を守る。
「何とか言え! 情報を売ったか? 仲間を売るのか?
 いいや。お前がそんなことしねぇのはわかってる! だから言え!
 何故隠した。何故行く。何故!!」
 銃を向けなかったのはクロの理性が残っていたからだろうか。それとも怒りで頭がまわらなかったのかもしれない。








第九章