別に戦争が多発しているわけでもなく、犯罪が多いわけでもない。大抵の人が平和だと思うような世の中だった。
 世界には魔物がいたが、活発に悪事を働くわけでもなかった。
 そう。以前はそうだった。
「で、オイラになんのようだ?」
 面倒くさそうなのを隠そうともしないこの男の名はクロ。数年前に流れてきた元旅人である。
 クロの前にいるのはこの国で一番偉い人。つまり王様であった。
「いや……。一応わし、王様だから。もう少しへりくだって欲しいな……あ、すいません。すいません」
 威厳の欠片もない王を足蹴にしているクロを誰も止めようとはしなかった。これは王の人徳がないわけではなく、単にクロに敵う者が誰もいないというだけの話しである。
 哀れな王に救世主が現れた。
「こらっ! ご……じゃなかった。王様になんてことするんだ!」
 現れたのは美しい青の髪をもった青年であった。
 全体的に青紫で整えられたその服装は何の知識がない者が見ても魔術師だとわかる姿であった。
「んだよ。別に殺しちゃいねーだろうが」
 などと文句を言いながらも、王の顔面から足を退けた。
 この魔術師は王に対して異常な執着心を持っている。下手に逆らわない方が身のためだ。
「そういう問題じゃなーい!!」
 クロと王の間に割り込み、体全体で王を守る姿勢を見せる魔術師に兵士達は影ながら拍手を送った。表立って拍手をしようものならば、クロの鉄拳が飛んでくる。
「ミー君……」
 魔術師。いや、ミーに助けられた王は嬉しそうにその名を呼んだ。
「王様……」
 クロを睨んでいた瞳が一瞬にして優しいものへと変貌した。その瞳には慈愛が満ちている。
「そんなかしこまった呼び方じゃなくていいよ」
 こちらの方も、クロにはへりくだって欲しいなどと言っていたにも関わらず、ミーには王と呼ばれるのも嫌なようだ。
「え〜でもぉ」
「いいじゃないか」
 周辺にハートを巻き散らすような会話を二人は始めた。確実に周りのことなど見えていないのだろう。
 甘い二人の世界を毎度のごとく見せつけられている兵士達は、もうため息すらでなかった。
「うぜぇんだよ」
 一番近くにいた兵士から兜を奪い、王とミーに向かって投げつけた。
 兜が二人に当たる寸前、一つの兜が二つに分裂した。
「ふっ……。甘いなクロ」
 真っ二つに切り裂かれた兜は地面に落ちた。
 ミーの手には長い剣。美しく輝くその剣が兜を切ったのであろう。
「お前なぁ……。魔術師だろ? 何で剣を使うんだよ」
 呆れるような口調のクロのすぐ横を何かが通り過ぎた。
 後ろの方で何かが突き刺さった音がした。
「はずしたか」
「はずしたかじゃねぇよ!! 本気で狙っただろ?!」
 ミーの手にあった長い剣はクロの頬をわずかに切り、後ろの壁に突き刺さっていた。
 本当にクロを狙っていたのかは定かではないが、クロとミーの仲はそう悪くないことだけは確かである。
「あの〜。ちょっと話したいことがあるんだけど〜」
 睨みあう二人の間に水をさしたのは、他ならぬ王であった。
「……命拾いしたな」
「そっちがな」
 舌打ちをしながら、ミーは王の後ろに回った。
「で、話しって?」
 相変わらずふてぶてしい態度を崩さないクロだが、今回はミーも何も言わなかった。
「ああ。実は……」
 王から聞かされた話は衝撃の真実であった。
 この世界に元々存在していた魔物達が凶暴化しているというのだ。すでにいくつかの国は攻め入られ、滅ぼされたらしい。
 などということはクロにとってはどうでもいいことで、クロにとっての衝撃の真実とは、自分が勇者に選ばれてしまったことであった。
 数年前にふらりとよった町に何となく住みついただけの自分がどうして勇者に選ばれたのか理解できない。
「何で、オイラみたいな罪人が――」
 誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
 少し俯いて見たクロの手は本人だけに赤く染まって見えた。
「わしにもよくわからんが、お前が勇者だってことらしい」
 曖昧な言葉にミー以外の者は全員脱力した。
「で、オイラにどうしろと?」
 呼ばれた理由はわかったが、勇者に選ばれたからといって何をすればいいのかわからない。
「うん。魔王を倒して」
 ちょっとそこまでお使いに行ってきてほしいと言うときと同じ軽さで王は言ってのけた。それも、何とも緊張感のない笑顔で。
 クロが静かに後ろの壁に刺さった剣を抜き、戻ってくる。
「よし。もういっぺん言ってみろ」
 穏やかな声色にも関わらず、その顔には怒りのマークが山のようにあり、なおかつ王の首には剣が向けられていた。
「クーロォー!! 王様に剣を向けるなぁ!!」
 そう言ってみるが、クロはまったく聞いていない。
「いや、だから、その……」
「もういっぺん言ってみろっつってんだよ!!」
 今にも剣で王の体を突き刺しかねないクロにさすがの兵士達も焦りを見せた。
 何とかクロの暴走を食い止めることに成功した兵士達とミーは、不安を抱えたまま二人の会話を聞いていた。
「魔王ってどこにいんだよ?」
 先ほどに比べればずいぶんと穏やかになった表情で尋ねる。
「知らない」
 相変わらず笑顔で答える。
「……魔王ってどんなやつだ?」
「さあ?」
 近くの兵士から剣を奪おうとするクロを全力で止める。
「だああああ! もういい! とにかく旅をすりゃあいいんだろ?!」
 そう言い残して去って行こうとするクロを王が引きとめた。
「んだよ?!」
 不機嫌モード全開で振り返るクロに怯えつつも、王は宝箱を持ってきた。
「武器だよ」
 宝箱の中にはお約束である『やくそう』と『銅の剣』が入っていた。なんてことはなく、腰につけられるタイプの小型銃が二丁と、ミーが持っている剣と同じタイプの剣が入っていた。
 たまにはまともなこともするんだなと、クロが思っていると王がもう二つありがたいものを渡してくれた。
「あと、魔王退治のために黒魔導師と白魔導師を連れて行ってくれるかな?」
 本来ならば、仲間は少しでも多いほうがいいと喜ぶものだが、群れることを好まないクロは違う。
 やはり隠すことなく嫌そうな表情をしてみせた。
 黒魔導師。それは王直属の魔術師ミーが遣わせることになった。
 白魔導師。それも王直属の魔術師が遣わされることになった。
「こっちが白魔導師だよ〜」
 王と同じように能天気な声を出すのは、王の執事であるコタローである。
 コタローの横にいるのは白いローブに身を包んだ小柄な少女であった。
「あたいはナナ。よろしく……」
 不安げな表情を見せる白魔導師は小さな声で名乗った。
 白魔導師には女が多いと聞いていたが、まさか女と旅をすることになるとは思ってもみなかったクロは顔をしかめた。
「王様〜。何でボクがクロと一緒に行かないといけないんですか〜」
 顔をしかめているクロの隣ではミーと王のバカップルがしっかりと抱きしめあっていた。
「ごめんよ……。でも、この国にいる黒魔術師で旅に出れそうなのはミー君だけだったんだ」
「ボク、少しでも早く帰ってきますからね……!」
「ミー君……!」
 再びしかと抱きしめあった二人の目には涙が浮かんでいた。
「あー。もうウゼェ」
 その言葉と共にクロは先ほど渡された銃を王とミーに向けた。
 一瞬で二丁の銃から同時に何発もの銃弾が飛びだす。
 まさか本気で狙ったわけではないだろうが、クロは右手と左手で扱っていた。両手で銃を扱うのは難しい。もしかしたら二、三発は王に当たっているかもしれないと、兵士たちは不安になった。
 だが、それはいらぬ心配であった。
 全ての銃弾は二人の輪郭線を綺麗になぞっているだけで、一発かすることもなかったのだ。
 銃口から出ている煙をふっと吹くその仕草はガンマンさながらである。
 誰もが驚いていた。
 クロには戦いの天性の素質があることは知っていたが、まさか二丁の銃を同時に使ってあんな芸当をできるとは思ってもみなかった。
「か、かっこいい……」
 頬を赤く染めてナナはクロを見上げた。
「別にオイラは一人でもいいんだぜ」
 そう言い捨てると、クロはドアの向こうへ消えて行った。
「……何はともあれ、行ってくれるみたいだね」
 ミーがかすかに微笑みながら言う。正直なところ、クロが旅に出てくれるかは五分五分であったのだが、先ほどの言動からするとおそらく行ってくれるのだろう。
 基本的にクロは優しいのだ。
「ねぇねぇ。あの人クロっていうの?」
 クロが出て行ったドアを見ていたミーにナナが問う。
「うん。数年前にこの国に来たんだよ」
 ミーが答えると、ナナは口の中で何度もクロの名前を呟いて笑った。
「あたい、クロちゃんのことが好きになっちゃったみたい」
 高々と宣言するナナに全員が驚きの眼差しを向けた。
 先ほどまでの行動のどこに惚れる要素があったというのだろうか。
 まだクロは自分がどのような目で見られているのか知らない。
 まだナナとミーはクロの過去を知らない。


to be……