再会
暗闇の中、太陽のように輝く妖怪が居た。暗闇によく目立つ毛並みをもつ妖怪こそが『とら』
うしおが会いたいと切望せずにはいられなかった妖怪。
とらも又、うしおに会いたいと切望していた。
二人がそろっていた時間は金剛石)よりも、それこそ太陽が霞んでしまうほど輝いていた。『運命』も『必然』も『宿命』そのどれもが安っぽく感じられるほどの時間だった。
だが、そんな日々を再び送れないことをとらは知っていた。
妖怪が甦るには時間がかかりすぎる。人間はそれだけの時間生きてはいられない。
「あいつがいないのに戻っても退屈なだけだ……」
とらが無意識に呟く。あいつがいない世界になど還りたくない。
『とら……とら……』
とらの耳に知っている女の声が聞こえた。
とらは声のする方向を見ると、そこにはジエメイが静かにたたずんでいた。
白面に家族を殺され、幽霊になったジエメイはうしおに自分と兄の魂を与え、消えたはず。なのに何故ここにいるのだろうと、とらが疑問を口に出す前にジエメイは言った。
『とら。うしおがこの闇の中に来ています。うしおを見つけ出してください。
そして、できるならばあなたも共に地上に……奴が、新たな敵が――』
ジエメイは最後まで言うことができなかった。
新たな敵。その言葉に意識を取られる前にとらはゆっくりと起き上がった。新たな敵などよりももっと気になる言葉があったから。
「うしおが……?」
ここは冥界。生きた人間は長くはいれない。
長くいれば人間は確実に死ぬ。
「へえ、帰れるのか。また人間の肉を……それにはうしおを捜さねえといけねえわけか」
この場にはとらしかいないというのに、どこか言い訳のようなことをとらは呟いた。誰にいうわけでもない。しいていうならば自分自身に言い聞かせるようなその言葉と共にとらは駆け出した。うしおを捜しだすのだ。
冥界は広い。否、冥界は無限の広さを持つ。
うしおを見つけ出せるか? などという迷いはなかった。自分ならば見つけられる。そんな確証のない自信までとらにはあった。
「どうせあのうつけ者のことだ、何も知らずに歩いているだろう」
とらはうしおを捜し続けた。
冥界では時間という概念はない。だが、この一瞬が確実にうしおの命を奪っている。
うしおを捜し続けているとらの予想通り、うしおは何も知らずに暗い闇の中をただ一人歩いていた。
獣の槍を呼んだ後、この暗闇に来たうしおは時間を計りあぐねていた。光もない音もない。ただ、暗闇だけが広がる世界。
人は長い時間変化のない場所にはいられない。あまりにも長時間変化のない場所にいれば人は狂ってしまう。
歩く、歩く、また歩く。変化のない空間。うしおはいつの間にかその場に座り込んでいた。
自分でも座りこんだことに気がつけなかったうしおは思いきって仰向けに寝転んでみた。けれども上も下も真っ暗で、やはり何の変化もなかった。
そのままぼんやりしているとうしおの身体は下へ沈み込んでいった。それは水の中へ沈むような感覚。
そんな奇妙な感覚にうしおは動揺することなく目蓋を閉じた。もうどうでもよくなってきていた。
頭も痺れてきて朦朧とする意識の中で、さっきまで水の上に立ってたのかな? という見当はずれなことをうしおは考えていた。
「うしお!!」
聞きなれた声を耳にし、うしおは目を見開いた。
目の前いっぱいに光る黄金。闇の中の唯一の光であった。
「と……ら……」
下へ沈み込んだうしおはやっとのことでとらの名を呼び、必死に手を伸ばした。沈んでいく体にへばりつくような闇がうしおの行動を邪魔する。
とらも冥界にうしおを奪われないように負けじと手を伸ばした。しかし、ほんのわずかとどかない。
「うしお! てめえはこんな所で死ぬような奴じゃねえだろ!!」
とらはさらに手を伸ばす。うしおも腕をもう少し、あと少しと伸ばす。
不意にうしおは夢を思い出した。走っても、泣いても、手を伸ばしもとどかなかった。掴めなかった。
「嫌だ……。嫌だ! 俺は、掴んでみせる……!」
うしおが叫ぶと同時に、うしおに絡みついていた闇がわずかに離れた。うしおが限界まで手を伸ばす。
伸ばした手と手がしっかり掴みあった。
掴んだ手を離さぬようにしっかりと掴んだとらがうしおを引っ張り上げる。
引っ張り上げられたうしおと引っ張り上げたとらは当然のごとく向きあう形になる。
目と目を合わせた二人は何を言うべきかわからなかった。
だが、口を先に開いたにはうしおだった。
「馬鹿野郎! どこ行ってたんだ!」
「うるせーな! せっかく静かだったのによぉ」
うしおととらは一年前のように喧嘩を始めた。
ただ、それはどこか嬉しそうであった。お互いようやく空白が埋まったようで晴れ晴れとしていた。
「うしお、とっととここから出るぞ」
とらがうしおを抱えて言った。うしおも頷いてとらの腕をしっかりと掴む。
漆黒の世界。何処が上で何処が下かわからないような世界をとらが上へ上へと飛ぶ。一体どれほどの距離を飛んだのかわからない。けれども、しだいに光が見えてきて、気づけば地上にいた。こんなにも簡単に出られるものなのかととらは思った。
うしおが冥界へ来る前、自分が消滅してすぐはどれほど足掻いても出られなかった。うしおに会いたい。戻りたい。その一心で前へ上へと進んでも出られなかったのに。
光りの出口の先はうしおがとらと初めて出会った地下室に繋がっていた。
いつでも少々肌寒い地下室に降りたった二人は照れくさそうに顔を見合わせた。
「うしお、またおめえにとり憑いてやるよ」
とらが言う。
「ばーか! とり憑いてなんかいらねーよ!」
うしおが返す。
そんなたわいもないやり取りをしながら二人は家へ帰って行った。
日はもう暮れかけ、外はとらのように金色だった。
夕暮れ時、紫暮と須磨子が家への階段を上っていた。東西の長が日本の柱になるため石となり、消えた今。妖怪を収める者はいなくなっていた。
それでも妖怪たちの統制がとれているのは、長たちはすぐに還ってくるという決定的事実と、イズナや鎌鼬たちの努力の賜物であろう。
しかし、どれほどイズナ達が頑張ろうが暴れる妖怪もいた。そんな妖怪を退治するのが法力僧の仕事なのだ。
それがうしおの家族が長い間共に過ごせない理由。
「今回は楽だったの」
「ええ。思ったより早く帰れましたわ」
二人の何気ない会話も家に近づくと暗くなてきた。
「うしお……最近元気がないんです」
須磨子がうつむいて呟いた。
いつも元気なうしお。でも無理をしているうしお。そんなうしおを見るのも辛いけど、無理をしないでと言えばさらに無理をするのは目に見えている。そんな姿は見たくない。
だから誰もそのことを口に出さない。
「とら殿がいてくだされば……」
紫暮も悲しそうに呟いた。消えてしまった片割れが戻ってくれば全て解決する。解決するというのに、片割れが戻ってくるには膨大な時間がかかってしまう。
紫暮と須磨子は沈んだ気持ちをどうにか奮い立たせた。家が見えてきたのだ。
暗い面持ちのまま家に帰るわけにはいかない。二人は気を取り直していつものようにと心がまえた。
そしていつものように鳥居をくぐれば、いつものように寂しげな顔でうしおが蔵を見ている。――はずだった。
蔵の前には誰もいない。紫暮達が首をかしげていると家から大声が聞こえた。
「俺の飯ーーー!!!!」
うしおの久しぶりの大声。紫暮達は何事かと急いで家へ向かった。
「何事だ! 大声出しおって!」
家の扉を開けながら怒鳴った紫暮の前には懐かしの光景があった。人の話は耳に届かず、槍と雷撃の戦いを繰り広げるとらとうしおがいたのだ。
しかし懐かしんでいる間に家は壊れてしまう。紫暮は久々に法力を使って二人の喧嘩を止めた。
「「何しやがる!!」」
二人は見事に同時に同じことを言った。
「お主らの喧嘩で家が壊れるわ!!!」
いつもの日常がかえってきた。非日常だが本人達には普通の日常が帰ってきたのだ。
「「だって、こいつが」」
再び同時に言い、喧嘩を始める。今度は須磨子の結界によって喧嘩を止められた二人はボロボロになっていた。
誰もがとらにいつ帰って来たかは聞かなかった。それを聞いてしまうと、とらがいなかったという真実をうしおに突きつけるような気がしたのだ。
とらは今確かにいる。それなのにいつ帰って来たと言うのは野暮だと感じていたのだ。
今はただ心の中で喜ぼう。
うしおととらの再会を。
第二話 木陰