木陰
その日はとても天気がよかった。
だが、せっかく帰ってきたとらもいないし、麻子達は高校なので今日もいない。
こんなに暇だったのはとらと出会ってから始めてだった。とらが消えていた間は退屈というよりも、虚無感と言った方が正しかった。
あまりにも退屈だったので、うしおは趣味の絵を描きに行くことにした。
「今日は天気も良いし、綺麗だろうな」
うしおはそんなことを呟きながら歩いていった。
うしおが行ったのは家から少し離れた山の頂上だった。天気は快晴。綺麗な景色が見えた。
うしおは太陽に背を向け、木にもたれて絵を描き始めた。お世辞にも上手いとは言えない絵だが、本人は上手いと思っているらしい。
そんな絵を描きながらうしおは眉を寄せる。
「何か違うんだよなー」
それはとらがいなくなってからずっと思ってたこと。
確実に何かが足りない。
緑もあるし、天気も良い…しかし何か物足りないのだ。
うしおはうんうん唸りながら悩んでいた。しかし、そのうち声はやみ、うしおは夢の世界へと旅立ってしまった。
うしおが木陰で眠っているなんて知らないとらは、夕刻になっても帰ってこないうしおにとらはイライラしていた。うしおの頭はあまり難しいことを考えるようにはできていないらしい。
自分が帰ってきた時いなかったうしおをしばらく待ってみたが、一向に帰ってこない。
「せっかくいいもん持ってきてやったってのによぉ」
いつまでたっても帰ってこないうしお。うしおに限って何かに巻き込まれたというこtはないだろうが、もうすぐ日が暮れる。
とらはいてもたってもいられずに飛び出した。
「とりあえず、マユコにでも聞くか……」
とらは真由子の家へ向かった。
還ってきてまだ数日しか経っていないために、蒼月家の者意外に会っていないことなどとらにとってはどうでもいいことであった。
「マユコー。おい!」
窓を叩いてとらが真由子を呼んだ。
しばらくするとパタパタと足音が聞こえ、ドアの向こうから真由子とキリオが現れた。
「とらちゃん!」
真由子は目に涙を溜めながら窓を開けた。
「よお。久しぶりだな。マユコ」
とらはニヤリと笑って真由子とキリオの頭を撫でた。
「いつ帰ってきたの?」
「ああ、ついこの間だ……と、うしお知らねえか?」
とらの心配そうな顔を見て真由子が微笑んだ。
「う〜ん、うしお君秘密の場所があるみたいだから…」
真由子もキリオも分からないと言ったので、うしおを捜すためにまた飛び立った。
「相変わらず…ネ」
「うん…」
飛び立つとらを見ながら二人は微笑んでいた。
とらがうしおを捜していると、小さな山が見えた。そして見つけた。
蒼月 潮を。
うしおは木にもたれて眠っていた。もう春とはいえ、肌寒い今日この頃。
とらの心配をよそに、のんきに寝ているうしおをとらは小突いて起こした。
「おい! 何やってんだ!」
「ほえ?」
寝ぼけているらしく、意味不明な言葉を出したうしおにとらが言った。
「こんなとこで何してんだ!」
とらの声で目が覚めたらしくうしおが不満げに言い返した。
「良いじゃねえか! 俺がどこ行こうとかってだ……ろ…」
うしおは最後の方の言葉を言う前に、目の前の風景に目を見開いた。
オレンジ色の夕日が木々を宝石のように輝かせていた。それだけならいつものことだったが、そこにいたとらの黄金の毛並みが……いや、とらがいたことで何かが大きく変わった。
「ああ? 何やってんだおめえ……。まあいい、帰っぞ」
とらが諦めたような口調で言い、うしおの手を引いた。
うしおは誘われるがままとらの背に乗り、家へ帰る途中の風景を見て驚くと同時に嬉しくて微笑んだ。
全てが変わっていた。どの景色も光って見えた。
うしおは唐突に理解した。
とらがいないとダメなんだ
うしおはとらの髪をぎゅっと握った。
「……うしお。忘れる前に渡しといてやらあ」
そう言うと、とらはうしおに蒼い玉)の付いたブレスレットを渡した。
「…これ……何だ?」
「そいつは、魂が獣の槍に奪われないようにする宝玉が付いてる。付けとけ」
とらが照れくさそうに言った。朝からいなかったのはこれを取りに行っていたらしい。うしおは嬉しそうに笑ってそれを手首に付けた。
蒼い玉が夕日を反射して美しく輝いている。
このブレスレットのために、とらがわざわざ唐国の山まで行って純粋な鉱石を取っていたことなどうしおは知らない。
知り合いの妖を脅して加工させたことなど知るよしもなかった。
「サンキュなとら……」
「けっ。お礼なんて言うんじゃねぇよ」
礼を述べたうしおに対して、とらはいつもと同じく憎まれ口を叩く。もちろん照れ隠しだとうしおはわかっていた。
『まあ、槍にうしおを持ってかれるわけにはいかねーしな』
何だかんだ言いながら、うしおと又離れるのは嫌らしい。
気づけば日は沈み、空には星が出ていた。
第三話 山の巾着袋