山の巾着袋  いつものようににテレビを見ていたうしおは、騒がしい音を耳にした。一体何事かと思い、外を見ると、そこには光覇明宗のヘリコプターがあった。
「うしおー! 少しこい!」
 紫暮がヘリの上からうしおに呼びかけた。
「とら、あそこまで連れて行ってくれよ」
「ちっ……しゃーねえなぁ」
 うしおがとらの背に乗って上まで行ったが、紫暮はついて来いと一言言ってすぐに行ってしまった。
「なんだよ? まあ行ってみるか」
 何も言わない紫暮に不満を抱きながらも、うしおととらはおとなしくヘリについて行った。
 しばらく飛んで行くと山のふもとについた。
「何なんだよ?」
 うしおが不満げに尋ねると、やっと紫暮は簡単な説明を始めた。
「この山に入った者が次々に行方不明になっておるのだ。
 地元の住民は日々怯え、探索しに行った和羅様までが消えていなくなった……」
「何だって?!」
 正義感の強いうしおは人が悲しんでいる話を聞いてしまうと、どうにか助けようと手を出さずにはいられないのだ。しかも、今回は色々と世話になっている人までが消えている。
「それは……妖怪の仕業なのか?」
 うしおが呟くような言葉で聞く。自分が呼び出されると言うことは少なからず妖怪が絡んでいると考えたのだ。そして予想通り紫暮は頷いた。
 それならばと、うしおは他を置いてさっさと山の中へ入って行ってしまった。
「まったく……めんどくせえな……」
 何だかんだ言いながら、先に行ったうしおをとらが追う。紫暮率いる法力僧達も後に続いた。
 山の中は薄暗く、木々が鬱蒼うっそうと茂っていて歩きにくい。その為、うしおたち人間はよろよろと歩いていた。
 そんな獣道をしばらく進んでいると、茂みの方から物音がした。最悪の事態に供え全員が戦う態勢に入る。海の底のような静けさが周りを覆う。
 うしおが獣の槍を強く握った瞬間、茂みの中から様々な種類の妖怪が出てきた。
「なっ! 何だ? こいつら!!」
 いくら戦闘態勢に入っていたとはいえ、あまりの多さにうしおたちはたじろいだ。迫り来る妖を倒していくが、あまりにも数が多すぎてきりがない。
 一匹、また一匹と退治している間に、近かったはずのとらの雷の音がどんどん離れていき、気づけばうしおはみんなとはぐれてしまっていた。
「とらー。親父ー」
 一人はぐれてしまったうしおは山をさまよっていた。しかも、霧が出てきて視界が悪くなってしまったため、何度も木の根につまずき、服はボロボロになっている。
「いって!!」
 またしてもつまずいて、うしおは顔と地面が接触する形になってしまう。
「な〜にしてんだあ? うしお」
 いきなり聞こえた声にうしおが顔を抑えながら上を見上げる。
 そこにはあきれた顔のとらがいた。
 うしおはとらに会えホッとし、いつものように話しかける。
「とら。どこ行ってたんだよ?」
「ああ、ちょっとな……ところであっちに妖怪がいたぜ?」
 とらがそう言うと、うしおは食らいつくかのように妖怪のもとへ案内するように言った。とらの方もうしおがそう言うのを予想していたのだろう。笑ってうしおを案内した。
 うしおととらがしばらく歩いていると、うしおの倍はあるであろう巾着袋のような妖怪が見えてきた。
「でけえ……こいつがみんなを?」
 うしおが問いかけるように呟くと同時に、巾着袋の紐の部分が解けうしおの方に延びてきた。
 とっさに身を引くうしおだが、すぐ後ろにいたとらがそれを押さえつける。
「とら?! 何すんだよ!!」
 今まで霧のせいでよく見えなかったとらの顔がうしおの目に映る。それはいつものとらでなく、とてつもなく邪悪な笑みを浮かべていた。

 とらじゃ……ない…。

 そう気づいた時、うしおは獣の槍から離れて妖の中にほりこまれていた。


 妖怪をあらかた倒したとらはうしおを探して山道を歩きまわっていた。すると、向こうから法力僧と紫暮が姿を見せた。
「おーい! おめえらうしおの奴知らねえか?」
 紫暮達は驚いたような表情を見せた。当然のようにうしおととらは共にいるものだと思い込んでいたのだ。
「早くうしお殿を捜しましょう!!」
 法力僧の一人が言った。ここにいる妖怪はあの和羅すらも消し去ってしまったほどの妖怪。いくら獣の槍があるとはいえ、うしお一人では危険だ。
 紫暮はその言葉にうなずき、一刻も早くうしおを捜すことにした。
 とらの方はといえば、うしおは獣の槍を持っている上に、そこいらの妖怪よりはかなり強いので心配はしていなかった。していないのだが、何故だか嫌な予感がしていた。
「とら殿? どうなされた?」
 紫暮が不思議そうにとらを見て尋ねた。
 とらは何でもねえよと一言言ってから、考えても仕方がないとうしおを捜し始めた。
「お〜い! みんな〜」
 不意にうしおの声が聞こえた。
「うしお!」
「うしお殿」
 紫暮と法力僧が同時に呼んだ。しかし、とらは疑うような顔でうしおを見ていた。
「なあ! あっちに妖がいたんだ! みんなで退治しに行こうぜ!」
 その言葉を聞いて法力僧達がうしおの後を追おうとするが、ただ一人とらだけがそれを止めた。
「待ちな!!」
 法力僧達が驚いてとらを見る。
「そいつはうしおじゃねえ!!」
 とらの一言にその場にいた全員が驚いた。
「何言ってんだとら?!」
 慌てるうしおだが、その他の者達はとらの方を信用した。
 とらは妖怪だから妖怪の気配には敏感だろうし、何より親の紫暮よりもうしおのことを理解している部分がある。
 万が一とらの言っていることが嘘だというのなら、うしおが獣の槍を振りかざすに違いない。
 そんな確信が紫暮達にはあった。
「本物の俺だって!!」
「そんなんでわしを騙せると思うなよ!」
 とらがうしおに向かって雷を落とすと、すぐに妖怪は反応した。
 うしおの姿が若い女の姿に変わったのだ。
「どーして分かったのぉ?」
 女が人差し指を口に当てながら薄ら笑いを浮かべる。
「しかたねぇから教えてやるよ。匂いが微妙に違うんだよ。しかも、あのおっちょこちょいがこの山の中で服を汚さずにいるはずがねえだろ。
 そして……これが決定的だな。あのお人好しは妖怪を見つけりゃあ、わしらのことなんざあ忘れてぶっ殺してるに決まってるだろうが!」
 とらは女を睨みつけた。怒気が溢れるとらの横で紫暮達はとらの説明に大いに納得していた。
「すごいわね……でも、あの坊やはどうかしらぁ?」
 何処か人を馬鹿にしたような口調でとらたちを見下し女は消えた。しかし、とらたちにとって女が消えたことよりも重要なことがあった。
 とら達は考えるよりも先に走り出した。うしおの身が危険なのは誰の目にも明らかだったからだ。
 とらはあの女の正体に心当たりがあった。そして同時にその妖怪に殺られているうしおの姿が浮かんだ。
「あれは幻魔だ。ちっ。やっかいな奴だ……。
 うしお……無事でいろよ!」
 誰に言うでもなくとらは呟いた。しいていうのならば、その声がうしおに届けばいいと思って。

 気づいたらうしおは真夜中よりも暗い空間に一人いた。
「愚かな坊や……あなたは永遠にここで一人ぼっち」
 どこからか狂った狂気の声が聞こえた。
「誰だか知んねえけど、とらが来るさ!!」
 とらを信じて意気揚々と言ううしおだったが、女はそれをあざ笑うかのように返す。
「本当に? あの妖はあなたを助けるためにどれだけの傷を負ったの? そして……」
 女がしばし間をあける。
「一度死んだのよ?」
 悲しむように哀れむように女が言う。女の一言に心をかき乱されたうしおの前に様々な光景が見える。
 ヒョウに頼んでとらを殺そうとしたこと、一鬼とうしおをめぐって戦ったこと、オヤウカムイにとらが真っ二つにされたこと、獣になったうしおを戻すために槍に刺されたこと……。
 他にも様々な光景が浮かんだ、それは目を瞑ってもうしおの脳裏に映し出され続けた。
「やめろ! やめろよ!!」
 そして光景は、最後の戦いに近づく。白面を倒すためにうしお自身がとらに槍を突き刺し、白面を倒した後、跡形もなく消えるとらが見えた。
「あ……あ…と…らぁ……」
 うしおはその場に倒れこんだ。そして目を瞑り、次に目を開けた時はとらのことを忘れてしまった。
「俺はさっき、何を言ってたんだ?」
「大丈夫……あなたは、ずっとここにいるのよ」
 女は先ほどとは打って変わり、優しくうしおに語りかける。その声は夢心地。まるで極上の音楽のよう。
 うしおはその優しい声にのまれるように眠りについた。
 だが、心の中ではただ一つのことを信じていた。

 名も知らぬ金色の光が、自分をこの闇から解き放ってくれると信じていた。

 巾着袋――否、幻魔は己を探しだしたとらと対峙していた。
「幻魔! うしおのタコ返しやがれ! さもないと……」
 とらが手のひらで凄まじい雷を鳴らしながら幻魔に迫る。
「あら……そんなことしたら坊やまで死んじゃうわよぉ」
 ニコニコ笑っているが、やはり人を見下しながら言う幻魔。とらはうしおを人質に取られていることに、内心舌打ちをしながら後ろに引いた。
 その様子を見て幻魔は嬉しそうに、勝ち誇るかのように微笑む。そしてあざ笑うかのように言った。
「出来ないわよね……。あなたが傷つき、死んでしまうのが嫌で、坊やは眠ってしまったのだから…」
 幻魔の言葉にとらが反応する。あのうしおが。というその思いがわずかな隙を生んだ。幻魔はその隙を見逃さない。
 とらに反撃する隙を与えぬよう素早く紐でとらを打ちのめす。とらの金の毛並みが一撃ごとに朱に染まってゆく。
「とら殿?!」
 紫暮達がようやく追いついてきた。
「お前ら! こいつの紐を結界で止めろ!!」
 とらに言われ、何がなんだか分からぬまま紫暮達は結界を張った。
 とらは結界で動きを封じられた幻魔の口を無理やりこじ開けて腕を入れる。
「うしお! とっとと起きやがれ! わしは大妖怪だ。てめえを喰うまで死なねえから安心しな!!」
 怒っているような、悲しんでいるような、そんな声でとらが叫ぶ。
 暗闇の中で、声が聞こえた。
「うしお! とっとと起きやがれ! わしは大妖怪だ。てめえを喰うまで死なねえから安心しな!!」
 いつでも聞こえていたあの声だった。
「とら……そうだ、とらだ!!」
 まるでずっと呼んでなかったように感じた。何よりも大切で、大好きなはずの名前。
 喜びと後悔が渦巻く中、うしおは気をとりなおしてが声の方へ歩いて行く。すると光が見えてきた。
 光りの中には老若男女、様々な人がいた。どの人も静かに眠っており、呼びかけても叩いても起きない。
 おそらくこの人達こそが、妖怪に攫われて消えてしまった人なのだろう。
 元々はこの人達を助けるためにきたのだからと、うしおは人々を集め、光に向かって投げつけた。
 投げられた人たとじゃ光の中に吸い込まれるように消えていく。
 最後にうしおが外に出ようとする……しかし、ものすごい力がうしおを引きとめる。
「くっ……と、とらぁ……」
 思わずとらの名を呼ぶ。そしてうしおは必死に手を伸ばした。
 その手を、誰かが掴んだ。

「たっく、あんなんに引っかかんなよ……」
 地上に戻ったうしおへの第一声はとらの説教めいた言葉であった。
 説教をするとらの毛並みは朱に染まっていて、うしおの目には痛々しく見えた。それはうしおを助けるためにつけられた傷。
 その場を見ておらずとも、とらの体に刻まれた傷のわけは理解できた。
「とら…お、俺……」
 うしおが何か言おうとしたとき、背後から幻魔の声がした。
「貴様らよくも……! 貴様らだけは殺してくれる!!」
 紐のような部分をうねらせ怒りを表す幻魔の姿は実におぞましかった。
「聞いたかとら?」
 幻魔のおぞましい姿をうしおはものともしない。先ほどまでの弱気な声の者と同一人物とは思えないほど強い声で言った。
「ああ……。あのうつけが…」
 うしおは獣の槍を握り、とらは口にたまっていた血を吐いた。
「俺達に勝てるわけないのにな」
「『達』じゃねぇ! わしだ! わし!」
 いつものようにたわいもない言い合いをしつつも、とらとうしおは同時に幻魔に攻撃をした。
 うしおが獣の槍で幻魔を貫く。とらが雷を落とす。たったそれだけのことをする。
 それでけであっけなく幻魔は灰になった。二人そろっていれば最強。それがうしおととらなのだ。
 騙されることも、人質をとられることもない。
「うしお。わしはおめえを喰うためにいる」
 とらがうしおに向かって言った。だがけして目を合わせようとはしない。
「おめえが死ぬまで一緒にいてやる。もう離れたりしねえよ………」
 照れくさそうに言うとらを見て、嬉しそうにうしおは微笑んだ。
 しっかり二人の世界を作っているうしおととらに対して、紫暮達は幻魔に取り込まれた人の手当で忙しかった。
 見たいものでもないので、紫暮達はしっかりうしお達を無視していた。


第四話 雨降らし