雨降らし  そろそろ梅雨が来た今日この頃、うしおととらはいつも通りの日常を送っていた。
「雨やまねえかな……」
 うしおの呟きに答えるかのように、次第に雨は弱まっていった。ただし、この時点でうしおがこの台詞を吐くのは二十回目である。
 そして、とうとう雲の切れ間からわずかに青空が見えるようになった。
「やったあ! とら、約束守れよな!!」
「ちっ……。しゃーねぇなあ」
 うしおを横で見ていたとらがめんどくさそうに窓に寄る。
 実は、今日晴れたらうしおを遠くの山まで連れて行く約束をしてたのだ。
 渋々ながらも連れて行ってくれるとらの背に早速うしおは飛び乗った。
「で? どの辺まで行くんだ?」
「じゃあ……愛媛県ま…なーんて「わかった伊予の国いよのくにまでだな」
 ちょっとした冗談のつもりで言ったうしおの言葉を最後まで聞かず、とらは愛媛へ向かって行ってしまった。
 一気に風圧がうしおを襲う。
「相変わらず早いな」
「口閉じてねぇと舌噛むぞ」
 風が耳元に響く中、うしおととらは平然と話をしていた。
 自分で飛んでいるとらは当然風圧にも耐性がある。うしおに関しては完璧に慣れである。
「あっちは晴れてるかな?」
「雨が降ってたら帰るからな」
 うしおが聞いてみても、とらは面倒くさげに返すだけである。もう少し話しを広げる努力をしてくれてもいいのではないかと、うしおは頬を膨らませた。
 そんな風に途切れがちな会話を続けていると、あっという間にうしおととらは愛媛についた。
 幸い空は曇っているものの、雨は降っていなかった。山に降りたうしおは、まるで幼い子供のように早速その辺りを駆け回った。
「綺麗だなー!」
 普段見ることのない風景に感動して走りまわるうしおにとらが軽く忠告する。
「おい、あんまりうろちょろすんなよ!」
 だが、うしおはとらの話を聞かず、どんどん向こうへ行ってしまう。
「うっわ!」
 とらから見えなくなったうしおが突然声を上げた。
「何やってん……だ…」
 うしおの近くへ行ったとらが見たのはしりもちをついているうしおと、みのを着た小さな男の子だった。
「こいつが俺の足元にいたんだ」
 うしおが男の子を指すと、男の子はうしおととらを交互に見て言った。
「あんたがうしおだね?」
「おいおい、いくら何でも初対面の人に『あんた』はねぇだろ?」
 うしおが微笑みながら注意すると、男の子はクスクス笑い、とらはうしおにめんどくさそうに説明した。
「そいつは雨降らしよ。ガキに見えるがもう二百はこえてるだろ」
 驚いて声も出ないうしおを無視して、雨降らしは雨のように小さく、落ち着いた感じの声で何か呪文のようなものを紡いでいた。
雨、雨降れ降れポツポツと。緑に土に水与えよ。ザーザー降って、土砂降り雨降り彼の者襲え
 雨降らしが下駄をならしながら唱え終わると、あたり一面に激しい雨が降った。
 そしてその雨は普通ではなかった。
 周りが見えなくなるほどの雨。すぐそばにいたとらもうしおが見えなくなるほどの大雨。
「と……ら……どこ…だ……」
 あまりの水圧で目を開けるのも辛く、雨の水が入ってうしおは上手く言葉を紡ぎだせない。だが手は懸命にとらを捜した。
「あんたはこっち……」
 うしおの耳に、とらではない者の声が聞こえた。声の主はうしおの手を引いて行く。
 小さな手にもかかわらず、その力は強くうしおを引っ張る。うしおは水圧の効果もあり、大した抵抗もできずとらから遠く離れた林の中に連れて行かれてしまった。
 林の中についた頃には雨はマシになっていたが、それでも雨はまだ強い。うしおをここに連れてきた張本人はいつの間にか消えており、うしおは一人木にもたれかかり雨の降っている空を見上げた。

 雨がましになって、うしおがいないことに気がついたとらが、うしおを捜すが中々うしおは見つからない。
「ちっ! どこ行ったんでぇ」
 そんなとらの前に雨降らしが現れた。
「へへへ……あの人間をお捜しかい?」
 見かけは完璧な子供なのに、その口調は大人顔負けであった。
「おめえ……ただの雨降らしじゃねぇな?」
 とらが唸るように言った。
 雨降らしは雨を降らせるだけの妖怪でそんなに強いわけではない。雨を降らすにしてもあれほどの雨は降らせないはずだった。
 うしおやとらはその辺の妖怪に殺られるような奴らではない。そのくらいド田舎の妖怪でも知っている。だからうしおととらに手を出すのは、よほど何も知らぬ妖怪か外国の妖怪ぐらいである。だがこの雨降らしは今現在とらを敵に回している。
「そうさ! 俺は黒面様の力を頂いた雨降らしだ!」
「黒面だあ?!」
 とらが始めて聞く名。しかも白面とよく似た名前の妖怪に反応する。
「何だ何だ! 知らねぇのか?! なら教えてやるよ! 白面の片割れ、黒面の者の話を!!」
「何だと?! 白面の者の片割れ?!」
 雨降らしは、とらの驚いた顔に満足したように笑って話しを続ける。
「黒面様は、白面の片割れ、けれども白面の様に人間や『陽』の存在に憧れたりしない。
 黒面様は白面のように強くないけれど、すごい力を持っておられる。別の妖怪の力を強くする力。異空間に入る力。
 黒面様は逆らう妖怪は殺し、従う妖怪は導いてくださる!」
 雨降らしが得意げに話す。とらは白面のことを思い出す。
 妖と人間が共に戦い、ようやく倒した白面…その片割れがいるということは、由々しき事態だ。
「黒面様はおっしゃられた……『我の片割れを滅ぼした獣の槍の持ち主うしおと、白面を生み出した元人間とらを滅ぼせ!』と…だから、俺はあんたらを倒す」
 とらは雨降らしを恐れることはなかった。力が増したとはいえ所詮雨降らし。大した力はないはずだ。今とらが気にしているのはうしおのことである。
 まだ強い雨。風も吹いている。もう暖かくなったとはいえ雨で気温も下がっている中で人間の体力がどこまでもつかは分からない。できるだけ素早くうしおを探し出さなければならない。
「ぼさっとすんなよ?!
 雨が降る。雷鳴轟く。彼の者へ
 空から雷の音がする。光ったと思った瞬間、とらに向かって雷が落ちた。
 雷の落ちた音が辺り一体に響き、とらのいた場所からは煙が上がっている。
「どうだい!!」
 雨降らしが喜びのあまり飛び上がる。しかし、煙が晴れるとそこには傷一つないとらがいた。
「馬鹿だな……わしに雷が通用するとでも思ったか?」
 あざ笑うようなとらを見て、雨降らしは知らずに震えていた。
 格が違うのだ。
 雨降らしは白面と戦わなかった。白面を恐れ、一人山の中に身を隠していたのだ。
 だからとらの強さを感じれなかった。強くなった己なら簡単に勝てると思い込んでいた。その思い込みが雨降らしの命を奪う。
「愚かだな…」
 とらが静かに雨降らしの頭を掴み、電流を一気に流す。雨降らしの呼んだ雷よりも数十倍威力が上の電流である。同時に手に力でも入れればいとも簡単に雨降らしは消滅した。
「と…ら……」
 雨降らしを消滅させた直後、近くの林からうしおが出てきた。
「おめえ、どこ行ってたんだよ! このタコ!!」
 とらがうしおを怒鳴りつけた。しかし、うしおは黙っている。いつもならうしおも怒鳴り返してくるのに今日は何も言わない。
 よくうしおの顔を見ると、顔はわずかに赤く染まっていた。息遣いも荒く体調が優れないことを物語っていた。
「大丈夫かよ? ほれ、さっさと帰るぞ」
 うしおを背に乗せると、とらは出来るだけうしおに気を使って飛んだ。少しでも気を抜くと、うしおはとらの背から落ちそうになるのだ。
「あと少しだ、しっかりしろ」
「うん……」
 家に帰ったうしおは、すぐに濡れた服を着替え、体をよく拭いた。
 うしおは熱が38.5℃もあり、すぐに寝かされた。
 しかしそれも当然であった。半袖の服を着ていたうしおが雨と風に小一時間は吹かれていたのだから。
「とら…」
 かすれるような声でうしおが呼んだ。
「何だよ?」
「残念だったな……綺麗な所だったのに……」
 本当に残念そうなうしおに、とらはため息をつきうしおの頭を撫でながら言った。
「また連れて行ってやるよ…今度は風邪なんてひかせねえからな」
「サンキュ……」
 外ではまた雨が降り出していた。


第五話 からかう