理性
短い金髪をキラキラと輝かせた兄ちゃんは唖然としているうしおを気にせず続けた。
「アレはあくまでも今一番可能性の高い未来や。あの未来が本間もんになるかは、自分らしだいや」
兄ちゃんはニヤリと笑う。
「えっと…………」
何か答えなければ。そう考えたうしおにとらが囁く。
「おい。こいつ、わしらと喋ってるぞ」
「そんなの当――」
当然だと言おうとして、思い出した。
ここにうしおととらを連れてきた少年は言っていた。ここで自分達に干渉できるのは黒面の片割れだけだと。
「じゃあ……」
目を見開いて目の前にいる兄ちゃんを凝視する。
悪い人には見えない。体格がいいので威圧的に見えるが、にこにこしているので親しみやすい雰囲気もある。
「オレは黒面の片割れやで?」
兄ちゃんはあっさり言ってしまった。
「戦う…………のか?」
槍を構えながらうしおが尋ねる。
答えは決まっている。
「なんで?」
答えは、決まっている……はずだった。
「え……?」
答えは当然肯定の言葉だったはずだ。黒面を倒そうとしているうしおととらは、目の前にいる兄ちゃんの敵のはずだ。倒さなければならない。そういう存在のはずなのだ。
だというのに、疑問の言葉が返ってきた。
「別にオレを倒しても黒面の力は弱まらんで」
さらりと言われた言葉にうしおは口を開けたまま硬直する。
あの少年の言葉が嘘だとは今でも思っていない。だが、兄ちゃんの言葉も嘘には思えない。どちらかが、嘘を言っているはずなのだ。
「オレは黒面の『理性』を司っとるから、オレを倒したところで、黒面が何の理性もない獣になるだけや」
司る。その言葉にとらは疑問を抱いた。
「どういうことでぇ?」
とらの質問に兄ちゃんは少し驚いたような顔をする。
「……なんや、全部聞いたわけちゃうんか」
「とっとと答えろ」
答えをせかすとらに兄ちゃんは呆れたようにため息をついて口を開いた。
「片割れちゅーたかて、一人ちゃうんや」
まずそこでうしお達の考えが崩れた。
片割れと言われれば、当然一人しかいないと考えるだろう。だが、実際には一人ではなかったと言うのだ。
「黒面は、三人の片割れでその力と姿をたもっとるんや」
兄ちゃんは指を三本立てた。
「オレが司ってる『理性』」
指を一つおる。
「んで、『安定』を司っとる奴」
もう一本指をおる。
「そんで、自分らが求めてる『力』を司っとる奴」
三本の指が全ておられた。
「オレが倒されれば、黒面はただの獣になりさがる。『安定』が倒されれば、黒面はバランスを崩し、混沌を求める」
「『力』が倒されれば黒面は弱くなる……」
兄ちゃんの説明を理解したうしおが小さく呟いた。
「せや」
自分の使命は終わったと言わんばかりに兄ちゃんは座り込んだ。
「で、どーすんや?」
「……おめぇを倒すかどうかか」
黒面が理性のない獣になられてはたまらない。力のある獣ほどやっかいな奴もいないのだから。
だが、黒面の片割れである者を野放しにしておいていいのだろうかという気持ちもある。
「別に、オレは倒されてもええ」
兄ちゃんが静かに言葉を紡いだ。
「でもな、絶対黒面は倒してくれ」
真剣な眼光がうしおを射抜いた。
「どういうことだよ?!」
意味がわからない。黒面の片割れであるはずの彼が、何故黒面が倒されることを望むのだろうか。
「……黒面は存在するべき者じゃない」
負の中に負は存在するべきではない。兄ちゃんは言った。
兄ちゃんの言っていることがうしおにはよくわからなかった。だが、兄ちゃんが黒面を倒して欲しいと望んでいることはハッキリとわかった。
「行こう。とら」
「いいのかよ?」
うしおは静かに頷いた。
「んじゃ、餞別やるわ」
座り込んでいた兄ちゃんが立ち上がり、うしおの腕をとる。
「なっ?!」
うしおの手を口元にまで持っていき、兄ちゃんは軽くうしおの手の甲にキスをした。
うしおは驚きのあまり目を丸くしているだけだが、それを見ていたとらは面白くない。うしおの手と兄ちゃんの手を無理矢理引き剥がす。
「おー。怖い怖い」
からかうように笑う兄ちゃんに、とらが雷を向けようとするが、うしおに止められる。
「とらはもっとクールにならなあかんなぁ」
そう笑う兄ちゃんは黒面の片割れとは思えなかった。
「黒面を倒したら――」
ふと頭に浮かんだ疑問を兄ちゃんに投げかけようとしたが、その言葉は兄ちゃんの表情を見てすぐにわかった。
「……………………」
うしおは前を向いて歩き出した。もう振り返ることはないだろう。
出会ってほんの数十分程度しか経っていないが、うしおは兄ちゃんのことが好きだった。
かっこよくて、明るくて、それでいて知的な雰囲気を漂わせていた。もしも黒面の片割れでなかったら。普通の人間として出会えていたのならば、きっと仲良くなっていた。
黒面を倒したら、兄ちゃんはどうなるの?
うしおはそう尋ねたかった。
だが、それを聞こうとしたときの兄ちゃんの顔は、うしおを傷つけたくはないが、嘘をいいたくもないという表情をしていた。きっと、黒面とともに死んでしまうのだろう。
それが当然だ。でも、できることならば生きていて欲しいと願った。
「うしお。ためらうなよ」
黒面と戦うときにためらいは命取りだ。
「わかってる」
犠牲を伴った平和なんて嫌だと思っているが、それが本当に実現可能かどうかは白面との戦いで十分に思い知っている。たくさん助けたい。その思いは大切な者を犠牲にすることがある。
十一話