少年
険しい山道をうしおととらは歩いていた。
人目につかぬようにとの行動であったのだが、思いのほか動きにくく、とらはともかくうしおは苦戦していた。
「だー! もう、動きにくいな!」
文句を言いながら歩くうしおを見て、鼻で笑うとら。そんなとらを獣の槍をちらつかせて脅すうしお。
なんら変わり無い二人だった。
「楽しそうですね」
この男、黒面が現れるまでは。
「黒面……?!」
今までとは明らかに雰囲気が違った。
飄々)とした雰囲気を欠片も見えず、真剣な瞳をうしおととらに向けていた。
「今回は、遊びに来たのではないんですよ……。戦いに来たんです」
ニヤリと笑い、片手を高く上げる黒面。その手の先から雷がほとばしる。
「この場には結界が張ってあります。心置きなく戦えますよ?」
言うや否や、黒面は腕を振り下ろし、うしおへ向けて雷を落とす。
とっさにうしおを抱きかかえ、空へ飛ぶとら。しかし、それを予測していたかのように黒面が炎をとらへ命中させた。
「ちっ!」
とらに庇われたうしおは、獣の槍を構えて黒面へ向かって行った。
獣の槍を向けてきたうしおを見て、待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべる黒面。うしおの背に悪寒が走ったが、止まることが出来なかった。
気づいたときには、うしおはとらの腕の中にいた。
一瞬のことで、うしおには理解できなかったが、とらの腕の中にいるという状況と体中の痛みから黒面に吹っ飛ばされたのだと解釈した。
うしおは、白面と対峙した時以来の恐怖を感じた。黒面は笑っていなかったのだ。無表情で立っていた。さながら「この程度か」と言うように。つまらなさそうに。
それでも恐怖に負けている場合ではない。うしおは獣の槍を振りかざし、黒面の前まで走った。
当然、それを軽々避ける黒面だが、すぐさまとらの雷が向かってくる。
「甘いですよ」
黒面にとらの雷が当たることなかった。木の枝に飛び移った黒面に次はうしおが飛びかかる。
うしおが獣の槍を突き刺そうとするが、黒面は炎の玉をうしおに当て、攻撃を回避する。
攻撃の反動のため、空中でバランスを崩すうしおには目もくれずにとらが黒面へ鋭い爪を振り下ろすが、その爪は黒面には当たらず、枝を砕いたにすぎなかった。
何とか着地したうしおが黒面の姿を捜す。
不意に、後ろからの殺気を感じ取ったうしおが振り向くと、そこにはいつもの笑顔の黒面がいた。
それが何よりも恐ろしかった。
恐怖に身が凍りつく。
「うしお!!」
とらが、間一髪のところでうしおを黒面から守る。黒面の腕がうしおの胸に向かって伸びていたのだ。
うしおを助け出したとらは黒面に新たな攻撃を加えるが、当たることはなかった。
うしおもとらに加勢するが、攻撃が当たらない。一方的な攻撃を受けるだけ。黒面の攻撃を避けるすべはなかった。
うしおととらが、どうすれば黒面に勝てるのか思案していると、黒面の姿が消えた。
気配を探ってみるが、森中から黒面の気配がするように感じる。
「……期待はずれでした。白面を倒した者がこれほどの力しかもたないなんて……。私は黒面の分身にすぎない。本体とでは、勝負になりませんね」
何処からか、黒面の声が響いてきた。
その残念そうな、失望したような声は山の木々を揺らした。
黒面の気配が完全に消え、うしおはその場に座り込んだ。腰が抜けたようだ。
正直、うしおは恐くてたまらなかった。
白面と戦った時のように皆の力を借りたわけではないが、それでも傷一つ負わせることができなかったのだ。それに加え、今回戦ったのは黒面の『分身』本体はさらに強いであろうことが簡単に予測できる。
知らぬ間にふるえていたうしおを見て、とらはあきれたような顔をした。
「あいつが恐えか?」
とらの言葉に意識せず頷くうしお。
「そんなら……黒面なんてほって置くか?」
その言葉にうしおは頷かなかった。それどころか、己を見下す形にいるとらを睨みつけた。
「そんなのできるわけねぇだろ?!」
ふるえも一瞬で何処かへ消え去った。
心の奥底に恐怖があろうとも、黒面の存在を知ってしまったからには、黙って見過ごすわけにはいかない。
「それなら、うじうじしてんじゃねぇよ」
いつもの不敵な笑みを見せたとらが、うしおの頭を乱暴に撫でる。
「あいつも白面同様ぶっ倒してやるさ。わしとお前でな」
その言葉を聞くと、うしおは微か頬を赤くして笑った。
「そうだな! 乗りかかった船だもんな!」
立ち上がり、決心を新たにするうしお。
「本当に黒面を倒す?」
「ああ!」
「どんなことをしても?」
「もちろん! ……ん?」
黒面を倒すのか聞かれて、答えていたうしおは、その声の主がとらではないのに気がついた。この場にはうしおととらしかいないというのに一体、誰。
「誰でぇ……」
姿の見えぬ声の主を探すとら。
「ああ、姿が見えない?」
忘れていたことを思い出したように言う声。同時に見えてくる姿は、薄い水色の髪と濃い青の瞳の少年であった。
笑顔の少年は、どこか妖怪に似た、しかし妖怪とは別の奇妙な雰囲気を身体全体からかもし出していた。
「誰だ……?」
うしおが獣の槍を握り、とらが戦いの構えを取る。
「そう構えないでよ〜。僕は君達の味方だからさぁ」
邪気のない笑顔……というよりも、のんきなしまりのない笑顔を少年は見せる。
その姿に拍子抜けしてしまったうしおは、少年の話を聞くことにした。
とらは、不満なのか文句を言っていたが、獣の槍をちらつかせると押し黙った。
「まあ、僕に戦闘能力なんてないから、戦うなんて到底無理なんだけどね〜」
へらへらと笑いながら言う少年、しかし、その表情が一変した。
「でも……。黒面を倒すための手助けなら出来る」
真剣な瞳は、一瞬にしてうしおの信頼を得た。
元来単純な頭をしているうしおは、真剣な目を見るとすぐに信用してしまう。いや、今回の少年は特別だったのかもしれない。あまりにも真っ直ぐな瞳は、うしおのそれと酷似していた。
一方とらは慎重に相手を見極めていた。今も、少年の言うことを信じていない。うしおに何かあればすぐさま少年を殺すつもりだ。
それでも、うしおに酷似した瞳に心が揺れる。
「そう、ねえ……本当にどんな事でもしてくれる?」
「ああ」
少年の言葉にすぐさま答えるうしお。とらに言葉を挟ませない。
「……そっちの彼の話は聞かなくていいの?」
心配そうにとらを指す少年に、うしおは笑って答えた。
「……とらは、自分のことは自分で決めるから。俺も自分のことは自分で決めるさ」
うしおのその笑みを見て、苦笑いをしつつため息をつくとら。
「おめぇ一人に、黒面を倒させやしねぇよ」
とらはいつもの笑みを見せ、うしおの肩に乗った。暗に、うしおと共について行くということなのだ。
うしおはその意思をしっかり受け取り、とびっきりの笑顔を見せた。
「あのさ……」
すっかり忘れ去られた少年が、困ったような表情で声をかけてきた。
「惚気はいいから、話し進めてもいいかな?」
「「……ああ」」
顔を赤くした二人がいたとかいなかったとか。いつもならば惚気てないと反論する二人なのだが、さすがにこの状況でそれは言えなかったらしい。
少年の話は単純明快……とはいかなかった。
「えっと……言ってる意味がよく…………」
うしおが頭をかきながら簡潔な説明を求めた。
「うん。じゃあとりあえず行こうか」
「え?!」
簡潔な説明を求めているうしおを無視して、少年はうしおの腕を掴んだ。
「おい……! おめぇ何を……?!」
ニッコリ笑っている少年はうしおの腕を掴んでいる手に青い光りを集めた。それは神秘的であり、不気味でもあった。
「大丈夫。ちゃんと僕も行くから」
少年の笑顔が黒面と被って見えたのは、何故だったのだろうか。
第九話 暗闇の世界