※小説verをベースにしてます。
46、幼年期 と対


 私は今でも後悔している。
 あの子を治すために彼女が死んだとき私は嘆いた。愛する彼女を永遠に失ってしまった悲しさにうちしちがられていた。
「……母上?」
 彼女が己の命を捨てて助けた我が子。ラハールが寄ってくるのを足音だけで感じる。おそらく彼女が横たわっているベットをじっと見つめているのだろう。
 ラハールには彼女が死んだことがわからないのかもしれない。
「ラハール……お母様は死んでしまったのだよ」
 私はラハールを抱きしめてやろうと、ラハールを見た。母の死を目の当たりにして目を見開いている我が子を見て、私は恐ろしいことを考えてしまった。
 それは親として考えてはいけないことだった。
 この子ラハールさえいなければ、彼女は死ななかった。
 そんな恐ろしい考えを、どうにか打ち払う。しかし、ラハールを抱きしめることはできなかった。
 彼女が死に、ラハールをまともに見れなくなった。見てしまうと、あの子を殺しそうになってしまう自分が怖かった。
 そんな時だ、あいつが私に一つの提案を持ちかけてきた。
「私が預かってあげようか? あなたの息子」
 私の義妹、ヤスールだった。
 人間である彼女を嫌っていたため、最近では魔王城に近づくことすらしなかったのに、今になって何故現れたか私は良く考えるべきだった。
 そうすれば、ラハールをあんな目にあわせなくてもすんだのだ……。
「頼む」
「OK。連れて行くわよ」
 もしも、今過去に戻れるなら、私はこの時に戻りたい。ラハールをあんな目にあわせるようなことはしない。



 百年ほど経つと彼女のことについても整理がつき、ラハールを見てもあのような衝動には駆られないだろうと思った。
「ヤスール。今度ラハールを迎えに行くよ」
「あらそう?」
 心なしか残念そうなヤスールの声にラハールと離れるのが寂しいのかと思った。
 一応、人間の血が通っているラハールだが、一緒に暮らしている間に情でも湧いたのだろうか?
 数日してラハールを迎えにヤスールの家へ向かった。
 ドアをノックすると、プリニーが出てきたのでヤスールを出すように頼んだ。
 しばらくするとヤスールがラハールを連れて現れた。
「久しぶりだなラハール」
 久しぶりに見た我が子。
 幼い頃から変わらない鋭い眼つき。だがその瞳は百年前と比べると、より眼つきがきつくなり、負の感情が宿ったような瞳をしているような気がした。
 最後に見た瞳が悲しそうな瞳だったからそう錯覚しているだけか……?
「……」
 返事をせず、さっさと歩いていくラハール。
「待ちなさい」
 私が呼び止めると素直に足を止め、振り向く。
「お世話になったヤスール叔母様にお礼ぐらい言いなさい」
 礼儀を怠らぬようにラハールに促す。
 ラハールは少しの間ヤスールを見ると、すぐにそっぽを向いて歩きだそうとした。
「ラハール!」
 礼儀を見せぬ我が子を叱り、頭を下げさせようと頭に手を持っていく。
 手に痛みが走った。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。ラハールのマントに自分の手が払われていたなんて。
 何も言えずにラハールの表情を見るが、マントで顔が隠されていた。わずかに見た表情が怯えていたように見えたのは気のせいだろう。
 ヤスールには私から礼を言った。
「あっ。ラハールちゃん、元気だからちょっと怪我をしてるけど、うちで遊んでたときにできたものだから」
 ヤスールが言わなくても分かっているようなことを言う。
 何故そのようなことを言うのか不思議に思ったが、私はただ頷いておいた。
 ラハールと城に帰り、何かが変わるかと思ったが、私は仕事で忙しく、ラハールと話すことも遊ぶこともなかった。
 私は何の違和感もなく、今までと同じ行動をしていた。
「陛下」
「何です?」
「ラハール様が……」
 部下から聞いた話によると、ラハールが高価な壺を壊したので注意したところ「オレ様の家のものだからいいのだ」と言い出し、挙句の果てには力で黙らせたそうだ。
「いいでしょう。私がよく言って聞かせます」
 部下に話を聞いた夜、私はラハールを呼び出した。
「何だ?」
「ラハール。座りなさい」
 とりあえず素直に座るラハール。
 しばらく沈黙が続いた。
「何の用なのだ?」
 痺れを切らしたラハールが苛立ったように聞く。
「お前、今日壺を壊したらしいですね」
 ほんのわずかに目を見開き、怯えるような様子を見せたが、ラハールはすぐに元の強気な態度に戻った。
「だからなんだと言うのだ? ここはオレ様の城でもある。オレ様の城にあるものはオレ様のものだ。壊そうがどうしようが勝手だろうが」
「ラハール! お前はお母様の言ったことをまるで理解してないのですね?!」
 あまりにも横暴な考え方をしているラハールの言葉に、思わず強く叱ってしまう。だが、親として正しい判断のはずだ。
「お前のお母様は言ったはずです。どんな物も大切に慈しみなさいと。誰にでも愛を持って接しなさいと……」
 突如、ラハールの魔力が跳ね上がった。
 部屋の家具が壊れ、カーテンが大きく揺れる。
「愛だと? 慈しみだと?! そんなものは必要ない! オレ様はそんな言葉……大っ嫌いだ!」
 怒りと憎しみの瞳。彼女が愛する息子に教えたのはそんなことではないはずだ。『愛』を『慈しみ』を大事にする優しい子になって欲しかったはずだ……!
 私の中に、あの時の思いが甦ったような気がした。
「このっ……!」
 ラハールに鉄槌を下そうと、手を振り上げる。ここからではラハールにとどくはずがないのだが、そうせずにはいられなかった。
 そして、この『手を振り上げる』という行動が思わぬ結果を生む。
「ひっ!」
 小さく悲鳴を上げ、マントで身を隠す。それはまるで己の身体を守ろうとしているようであった。
 思わず私は自分の手を見つめてしまった。
 私がぼんやりしている間に正気に戻ったラハールはマントから身を出し、慌てて部屋から出て行った。
 何が何だか分からなかった。ただ、ラハールの言葉に彼女の思いを踏みにじられたような気がした。
 あれ以来ラハールが私の耳に入るようなことはしなかった。私もラハールに会おうとはしなかった。
 どうすればいいのかわからずイライラした。仕事が上手くはかどらなかった。こういう時、私は彼女が生活していた部屋へ行くことにしていた。
 我ながら女々しいとは思うのだが、彼女の部屋に行くと落ち着くのだ。
 彼女の部屋の扉を開ける。
 そこには意外な人物がいた。
 私と同じような色の髪を持った少年……。我が子、ラハールである。
 身体に力が入る。しかしすぐに力を抜く。
 ラハールは寝ていたのだ。
「……母……上…」
 彼女が横たわっていたベットのシーツを握り締めているその姿は歳相応に可愛らしいものであった。
 起きている時とのギャップに思わず面食らうほどであった。
「ど…うし…て……」
 今にも泣きだしそうな寝言を言う我が子を見て、私は罪悪感にかられた。
 思えば、彼女が生きている時は彼女がラハールと話し、遊び、教えた。それに比べて私は時折様子を見る程度であった。
 彼女が死んでからは、ラハールのために時間をさくような努力はしなかった。
 彼女が死んで一番悲しいのはラハールであったはずなのだ。己のせいで母をなくしたしまった子供。
 私は自分ではなくラハールを慰めてあげるべきであった。母が死んだことで『愛』を否定してしまわないように。母の伝えたかったことを受け止められるように……。
 スヤスヤと眠っているラハールの頭をそっと撫でた。
 途端にラハールの表情が変わる。真っ青な顔、身体は震えだし、身を硬くしている。
「やっ……ごめ……叔母……ん…」
 叔母さん……ヤスールのことだろうか?
「っ……! …くぅ……」
 背中や肩を必死に押さえる。まるで何かから身を守るかのように。
 そういえばヤスールは鞭を使うのが得意だったような気がする。先日私が腕を振り上げたときラハールは恐れていた。あれは……鞭が飛んでくると思ったから……?
 一つ思いつくと、次々に思い浮かぶ。そうだ、謝らなければ。
 わかってやれなくてすまない。何も考えずヤスールに預けてすまない。辛い思いをさせてすまない。
 だが、今のラハールは謝罪を求めているわけではない。どうすればいいのだろうか? 一晩考えたが、答えは出なかった。
 答えが出ないので私は問題を先送りにしてしまった。あの子のことをないがしろにしているわけではないのだ。仕事が忙しい。……これは言い訳にしかならないか……。
 時折ラハールは彼女の部屋に行っているようだが、私は知らないふりをした。私にバレタと知ったらあの子は彼女の部屋へ行かないだろう。そうしてまた辛い物を溜め込む……。 
 答えが出ない。あの子のためにしてやれることは何なのだ?
 そんなことを考えている間にラハールが眠りから目覚めなくなった。悪魔は長時間の睡眠をとるとはいえ、この長さはおかしい。
 私はまだラハールに何もできていない……。何もできていないのに……。何故私に償いをさせてくれないのだ……?
 結局、私はラハールに何もできずに終わった。我ながらマヌケな死に様であったと思う。



「中ボス〜」
「何ですかエトナさん?」
 今、私は中ボスとして生きている。いや、中ボスじゃないんですけどね……。
「どうして殿下はヤスール叔母様のところにいたんですかねぇ?」
 クリチェフスコイとしての私に聞いているのではないだろう。ハッキリと言わないのは美徳ですね。
「さあ、前魔王陛下も奥様が死んで気が動転してたんじゃありませんか?」
「ふ〜ん」
 何とも捕らえがたい表情をするエトナ。
 この子に私は我が子を任せた。
 彼女ならラハールを上手く導いてくれると信じていたから。……まさか彼女がラハールを毒殺しようとするなんて思いもしませんでしたけどね。
 中ボスとして甦った私は、正直ラハールを魔王にはできないと思っていた。
 あまりにも横暴で、自己中心的で、人を思いやれない魔王の政治は長く続かない。
 エトナと……
「中ボスさ〜ん」
 堕天使となったフロンさん。
 私はこの二人に感謝しています。あの子を導いてくれたこと。優しさと愛を教えてくれたこと。私には何もできなかったことを彼女達はしてくれた。
「何ですか?」
「ラハールさんってどうしてヤスールさんの……」
「あ〜フロンちゃん、それあたしが聞いた」
「え!そうなんですか?!」
 あの子はとても愛されているようですね。
 私なんて必要ないのでしょう……。
 子供はいつか親から巣立っていくといいますが、あの子は彼女が死んだときに無理矢理巣から落とされた子……。
 私はあの子にとって不必要な存在なのかもしれませんね。


END