※小説verをベースにしてます。
35、親 と対


 俺様はあのとき何故母上が死んだのか理解できなかった。
「……母上?」
 ずっと続いていた苦しさがなくなり、母上に会おうと思った。
 母上の寝室には親父がいた。ベットに横たわっている母上の手を取り、泣いているように見えた。その雰囲気に俺様は近づけづにいた。
 何故母上が横たわっているのかすらわからなかった。
「ラハール……お母様は死んでしまったのだよ」
 親父の言葉が理解できなかった。
 俺様が苦しんで寝込む前までは元気だった母上が、俺様が苦しんでいるとき励ましてくれた母上が、いつも俺様といてくれた母上が、死んでしまう理由なんてわからなかった。
 俺様は何も聞かなかった。いや、聞けなかった。母上が死んだ理由も、俺様を見た親父がいつもとは違う目で俺様を見て、震えていた理由も……。
 親父は俺様と目をあわせなくなった。
 母上を埋めて、いつも通りの生活が始まってからも目をあわせることはしなかった。だが、元々親父と会うことなんてそう多くはなかったから、それを嫌だとも寂しいとも感じなかった。
 母上はいなくなったが、親父はまだいる。
 例え会うことがなくても、話すことがなくても、目をあわせることはなくても、親父の存在を感じることはできる。俺様はそれで満足だった。
「ラハール」
 久しぶりに話しかけてきた親父だったが、やはり目をあわせようとはしなかった。
「お前はこれから私の義妹、ヤスールの家へ行くことになります」
 まただ、親父の言葉は理解ができない。
 何故俺様がここから出て行かねばならぬのだ? 母上と遊んだ、話した、思い出の場所を離れなければいけないのだ? 母上だけでなく、親父とも別れなければならないのか?
「………わかった」
 俺様がそう言ってやると、親父は心なしか安心したようだった。


 ヤスールの家へ行ってからは地獄だった。
 魔王城よりは狭いが中々広い城。その中でラハールは約百年を過ごすことになる。
「おば……」
「お姉様よ」
 叔母さんとラハールが呼ぼうとすると、ヤスールが鞭をしならせ脅すように言う。
「……お姉様、俺の部屋は……」
 俺様の言葉をヤスールは最後まで言わせなかった。鞭が俺様の身体を傷つけた。
 悲鳴をあげる間もなく鞭が俺様を襲う。何故こんなことをされるのかわからなかったが、俺様には何もできなかった。ヤスールを傷つける程の力も、魔力もなかった。
 俺様は庭で睡眠をとらされ、昼はプリニーのようにヤスールにこき使われた。
 暇があれば身体を鍛えた。しかしヤスールにそれを見つかるとまた鞭で攻撃され、身体に傷が付いた。
 正直辛かった。俺様だって、母上をなくして悲しかった。親父と離れて寂しかった。でも、母上は言っていた。『愛』を『慈しみ』を大切にしろと。
 いつかはこの理不尽な攻撃から逃れられると思った。ヤスールが俺様を傷つけるにはそれなりの理由があると思った。
「私はね、人間が大っ嫌いなの」
 ある日ヤスールが俺様にもらした。
 瞳は憎悪に燃えているようで、幼いながらに恐怖を感じた。
「だから、あんたも嫌い。あの女が死んだときは清々したわ」
 あざ笑うかのように言ったヤスールが思い出したかのような表情をして俺様を見た。
「あんた、何でお母さんが死んだか知ってる……?」
 ニヤリとした悪魔らしい笑み。間違いなくヤスールは母上が死んだ理由を知っている。そしてその理由を俺様に言いたくてたまらないようだ。
 罠だとわかっていながらも俺様は聞かずにはいられなかった。
 どうして母上が死んだのか。
「そう……聞きたいのね」
 ヤスールはもったぶるような言い方をし、俺様を焦らす。
 そして俺様は聞いた。母上が死んだ理由を……知ったことを後悔するような理由だった。
「あんたを助けるためによ」
 目の前が真っ白になったような気がした。
 放心状態に陥っている俺様を無視して、ヤスールは続けていた。俺様が病気にならなければ母上は生きていただとか、母上を殺した俺様を親父は殺したいほど憎んでいるだとかを延々と話し続けた。
 母上は俺様のせいで死んだ。俺様を『愛してた』から死んだんだ。
 ヤスールの話を無視して部屋から出ると、ヤスールの鞭が飛んできた。その痛みも俺様は感じなかった。鞭にやられ、倒れた俺様をさらに鞭が襲う。
 あの真実を知ってから俺様は『愛』だとか『慈しみ』が大っ嫌いになった。
 『愛』が『慈しみ』が母上を殺したんだ。違う、弱い俺様が母上を殺したんだ。
 もっと強く、もっと悪魔らしく、『愛』も『慈しみ』も全て否定して強くなればいい。
「ラハール。お父さんが迎えに来るってさ」
 相変わらず鞭をしならせながらヤスールが俺様に告げた。
 親父が迎えにくることに喜びなど感じなかった。親父が俺様のことを嫌ってるのはよくわかった。ヤスールから聞かされた話と、俺様を見ようとしない親父の行動を照らし合わせれば確実だろう。
 だが、このヤスールから離れられるのは嬉しかった。
 身体に染み付いた痛みと恐れ。忌々しいことだが、俺様はヤスールが苦手になっていた。ヤスールに逆らうことはできず、あの手の動きを見るだけで身がすくむ。
 いつかきっとこの恐れも乗り越えてやる。
「久しぶりだなラハール」
 笑顔で俺様の名を呼ぶ親父がうっとおしい。俺様が嫌いなのだろ? 話しかけるな、笑うな、近づくな。
 無言で先を歩いてやると親父が俺様の名を呼び引き止める。
 一応立ち止まって振り向いてやると親父は俺様を見ながらヤスールを指す。
「お世話になったヤスール叔母様にお礼ぐらい言いなさい」
 やはり親父の言葉は理解できない。
 何故俺様がヤスールに礼を言わねばならないのだ? ヤスールの方を見ると、いやらしい笑みを浮かべてこっちを見ていた。
 とてもじゃないが礼を言えるわけがない。
「ラハール!」
 親父が俺様の頭を掴み、頭を下げさせようとする。
 嫌だ。あんな奴に頭を下げるなんて!俺様を憎んでいる奴に触れられるなんて!!
 怖い。身体に染み付いた痛みが甦ったような気がした。親父もあいつと同じかもしれない。
 無意識の内に俺様のマントで親父の手を払いのけ、身を隠した。親父が俺様と目をあわせたのはいつ以来だっただろう?


 城に帰るとやはり落ち着いた。
 のんびり過ごせる。暖かい部屋。毒が入ってない飯。こき使われることもなく、体を鍛えても誰も何も言わない。
 やはり親父は俺様と接触しようとしなかった。だが、母上が生きていたときから親父は俺様と話したり遊んだりすることは少なかった。親父からしてみれば、俺様は母上と話したりする口実にすぎなかったのかもしれん。
 ヤスールの家へ行く前までは、それでも親父がいるということを喜び、安心していたように思えるが、今では親父がそこにいようがいまいがどうでもよかった。俺様は魔王になる。そして誰よりも強くなって『愛』も『思いやり』も全て消し去ってやるのだ。
 ある日、俺様が廊下を歩いていたら壺が割れた。マントにでも引っかかったのだろう。
 その壺は中々の値打ちものらしく、割れた壺を見た魔物が高価なものだから大事にしろと説教をしてきやがった。
 悪魔の本質は破壊だろう。物が壊れたぐらいで騒ぐな。
「俺様の家のものだからいいのだ」
 そうだ、ここは俺様の城なのだ。だからこの城の物を壊そうがどうしようが俺様の勝手だ。
 なのにどうしてそうしつこく食い下がってくるのだ? 意味がわからん。
 あまりにもそいつが鬱陶しいので力ずくで黙らせてやった。一発殴っただけなのだが……貧弱な奴め。
 その日の内に親父が俺様を呼び出した。
「何だ?」
「ラハール。座りなさい」
 俺様が質問しているのに親父は返事を返さなかった。まあ悪魔らしいか。
 とりあえず素直に座ってやったが、親父は何も言わない。無駄な時間が過ぎていく。
「何の用なのだ?」
 意味のない時間の経過にイラついてきたので聞いてやる。
「お前、今日壺を壊したらしいですね」
 一瞬、ヤスールの家でのことを思い出した。
 偶然でも物を壊せば…いや、少し汚しただけでもあの鞭が飛んできた。しびれるような、焼けるようなあの痛み――。
 だが、ここはあいつの家ではない。
「だからなんだと言うのだ? ここは俺様の城でもある。俺様の城にあるものは俺様のものだ。壊そうがどうしようが勝手だろうが」
 思ったことを正直に述べてやると、親父は怒りをあらわにした。
「ラハール! お前は、お母様の言ったことをまるで理解してないのですね?!」
 母上の言ったこと……? 理解できるわけがない!
「お前のお母様は言ったはずです。どんな物も大切に慈しみなさいと。誰にでも愛を持って接しなさいと……」
 何を言っている?! 『愛』や『慈しみ』が何の役にたつのだ?! そんなものが……そんなものがなければ母上は生きていた!!
「愛だと?慈しみだと?! そんなものは必要ない! オレ様はそんな言葉……大っ嫌いだ!」
 周りの家具が壊れ、カーテンが大きく揺れる。魔力を……怒りを、憎しみを抑えることが出来ない。だが、抑える気もない。
 消えてしまえばいい。全て。『愛』や『慈しみ』と共に!!
 親父が遠くで手を振り上げる。馬鹿が、とどくわけないのに……。そんな親父の姿にあいつの姿がダブって見えた。
 そうだ、親父もあいつと一緒なんだ。俺様が憎い。殺したいほどに。
「ひっ!」
 情けない声が出ると同時に、マントで身を隠した。自分の身を守ろうとでもしたのか……? ふっ、親父の手は俺様に届かないと知っていたのに……?
 親父が呆然とこちらを見ていた。情けない声を出すという醜態をさらしたためか、どうも居心地が悪く、俺様はさっさと部屋を出た。
 あれ以来、親父は何も言ってこない。俺様の方もめんどうなのでもめごとは起こさないようにしてやった。
 俺様が毎日のように母上の部屋に行っているのも知らないのだろうな。もし知ったらどんな顔をするだろうか?
 妻を殺した奴が妻の部屋にいると知ったら……。きっと憎しみに満ち溢れた表情をするに違いない。いつか見てやろう。だが……今は…眠…い……。
 ゆっくりと意識が沈んでいくのを感じた。そして夢を見た。
 夢の中で母上と会った。
 生きてたときと同じ笑顔で俺様を抱いてくれた。笑ってくれた。
 なのに俺様の前でその姿が崩れていった。
「母上……?! ……どうして……」
 崩れた母上の欠片を必死で拾い集めるが、すぐに風に流されて散ってしまった。
 それからは落ち着いた夢だった。
 何も無い。ただ暗闇が続いていて、恐れも不安も、喜びも…何もかもがなかった。
 その世界で一生過ごしていたいと思うほどに、その世界は穏やかだった。
 なのに、身体に痛みが走った。何が起こったのか確認するまでもない。
 この痛みはいつものあの痛み。耳障りなこの音は鞭のしなる音。そしてあの姿はヤスール。
 何処か狂ったように俺様に鞭を叩きつけてくるあの女は、まだ何もできない頃の俺様を傷つけている。赤い跡が俺様の身体に残る。前回の傷が癒えないうちに何度も、何度も、嫌になるほど鞭が叩きつけられる。
「やっ……ごめ……叔母……ん…」
 今の俺様なら絶対に言わない言葉が口から出てくる。
 叔母さんと言われたヤスールがさらに怒り狂い、俺様を鞭で叩く。どうにか痛みから逃れようと背中や肩を押さえるが、何の役にも立たない。
 ヤスールはそんな俺様の姿を見てあざ笑うのだ。所詮人間の子供だと、母親を身代わりにするほど愚かの子供だと。
 あまりの痛みと、恐怖に助けを求める俺様がいる。伸ばした手の先には親父がいて、手を差し伸べてくれる。一度は安心してその手を掴もうとするが手を弾かれる。
 親父の顔を見ると憎悪と怒りの目をしていて、ヤスールと共に俺様を殺そうとする。
 剣で切り刻むか鞭で叩くか、魔法で燃やし骨まで灰にしてやるか……そんなことを言っているのが聞こえる。夢の中で俺様は泣き、あの暗闇の世界に帰してくれと懇願する。だが、夢の中でもハッキリと意識を保っている俺様自身はもう泣かない。
 慣れてしまった。何度も同じ夢を見た。母上の部屋で寝たときは母上の夢と暗闇の夢。そしていつも見るのはヤスールと親父の夢。今日に限って二つとも見たが、どちらも飽きるほど見た夢だ……。
 ようやく目を覚ましたが、まだ朝早かった。ほんの少しの時間寝ていただけなのに、あの悪夢はやけに長く感じた。
 それからもやはり何も変わらなかった。親父は仕事をし、俺様は自由にする。
 時々母上の部屋に行って、母上と過ごす夢を見て、また母上を殺す。これは俺様への戒めだ。俺様が弱いから母上が死んだのだ。俺様は強くなる。その決心を忘れないためにも、俺様はあの夢を見る。
 ヤスールと親父の夢は自己暗示にも似たものだろう。あいつらは俺様を憎んでいるのだと、言い聞かせている。憎まれて当然なのだ。悪魔なのだから。
 いつも通りの食事を食べた後、やけに眠くなった。
 昼寝は毎日のようにしているが、ここまで眠いのは始めてかもしれん……二、三日寝るつもりで棺桶へと身を沈めた。
 目蓋が落ちてきて、世界が闇になり、意識が落ちた。


 夢の中はいつもと違って静かだった。
 母上の夢もヤスールと親父の夢も見なかった。
 何も無い暗闇の世界。望んでいた世界。二、三日はこの世界でいれると思うと、少し安心した。
 俺様は知らなかった。暗闇の世界で落ち着いている間に、親父が死んだことなど。
 エトナに起こされたとき、内心起こさないでいてほしかった。
 母上が死んだ。親父が死んだ。結局残ったのは俺様だけ。
 後から知ったのだが、俺様があんなに眠り続けていたのはエトナが一服もったかららしい。おそらく、毒を中和するのに体が必死で、夢を見る暇もなかったのだろう。だから俺様は暗闇の世界にいれた。
 そういう点では、エトナを褒めてやってもいいかもしれん。なんてな……。
 母上と同じようなことを言うような天使にも会った。
 『愛』そんなものを悪魔に教えてどうしようというのだ? そんなもの、不必要なものだ。悪魔と正反対の性質をもつもの。
 何を言ってもあいつ…フロンは『愛』を語った。母上のように。
 だから、あいつがユイエの花にされた時は久々に恐怖というものを味わった。
 また死んだのか。『愛』を語ったものが。俺様を残して。
 また新しい夢が増える。最近ではどこで寝ても見るようになったあの二つの夢に、新たな夢が加わる。
 戒めを増やすぐらいなら。俺様を死ぬなんぞ許さん。だから……俺様は母上と同じことをしようとした。残される者の気持ちを知っていながらやるのも、悪魔らしいではないか。
 だが、それは必要なかった。フロンは堕天使となり魔界へ堕ちた。
 夢が加わることはなく、あの二つの夢も見なくなった。
 母上と親父が逝ったとき、少し嬉しかった。母上も親父も、俺様を憎んでなどいなかったのだと。そして俺様を見守っていてくれたのだと……。
 認めるのは気に喰わんが……俺様はいつまで経っても巣立ちできなかった雛だったようだな……。


END